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NBA

真の人道主義者マヌート・ボル。バークレーが「英雄」と賞賛する男の生き様【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2020.08.12

 現役時代から私財を投じて反政府軍を支援する一方、難民救済や奴隷解放のための財団も設立していたボルは、97年に南部勢力の代表者として平和協定に署名した。政府の仕事に就くことも決まっていたが、イスラムへの改宗も強要されて破談となる。政府から出国を禁じられたボルは、暗殺の恐怖に怯えながら毎日を送った。

「リューマチの持病があったのに、病院へも行けなかった。あの国で生き延びるには、医者だって信用しちゃいけないんだ」

 2002年にようやくアメリカへ戻ってからは、政治活動よりも啓蒙活動に力を入れ始めた。中東での紛争には、石油などの利権が絡むこともあってアメリカ政府は積極的に介入する。だがスーダンの内戦に関しては、政府も一般レベルの関心はずっと低かった。そうした意識を変えるために、ボルは自らが広告塔となる決意を固めた。

天からの恵みを生かし社会に尽くした真の英雄

 02年にはアイスホッケーのマイナーリーグ球団と1日契約を結び、“史上最も背の高いアイスホッケー選手”となった。競馬のジョッキーにも挑戦し、元フットボール選手とボクシングで対決もした。こうした行動は道化のようにも映ったが、スーダンで起きている問題に、少しでも人々の目を向けるきっかけになるのなら、彼はどんなことでもやった。
 
「アメリカには、国が何をしてくれるのかではなく、自分が国に何ができるか考えろ、という言葉がある。私はそれを実践したまでだ」

 そんなボルを、バークレーは英雄として賞賛する。

「不幸な人たちのために金を使う人間が英雄でなかったら、他にその名にふさわしいヤツはいないだろう」

 04年には交通事故(彼の乗ったタクシーの運転手が酒に酔っていた)に遭い、首の骨を折って何週間も意識不明に陥った。

「アスリートでなければ命はなかっただろう」と医師が語ったほどの大事故だった。そんな危機をも乗り越えてきたボルでさえも、病魔には勝てなかった。2010年6月19日、腎不全で逝去。まだ47歳、志半ばでの無念の死だった。

 ディンカの言葉で、マヌートという名前には“特別な天からの恵み”との意味があるそうだ。生前ボルは「私はこの身長と、NBAでプレーできるチャンスを神様から授かった。私の人生は幸せだ」と語っていた。そしてその幸せが当然の権利ではないことも、彼は身にしみてわかっていた。

「父について一番覚えているのは、自分自身よりも他人を気に掛ける人だったこと」と語る息子のほうのボルも、いずれ父がやり残した仕事を受け継ごうと考えている。

 選手としては優秀でも、生きた金の使い道を知らず、社会に何も還元しない者もいる。ボルはその正反対だった。最高に個性的な選手にして、真の人道主義者だった彼を、人々は決して忘れはしないだろう。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2010年9月号掲載原稿に加筆・修正。

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