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NBA

ジャバーの人生を変えたマジックとの出会い。当初は疎ましく思っていたが…【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2020.08.19

引退後は黒人の歴史や音楽に関する著作を発表したり、様々な式典のプレゼンターを務めたりと充実した生活を送っている。(C)Getty Images

引退後は黒人の歴史や音楽に関する著作を発表したり、様々な式典のプレゼンターを務めたりと充実した生活を送っている。(C)Getty Images

 ジャバーが最後の輝きを見せたのは、ボストン・セルティックスと対戦した85年のファイナルだった。第1戦は34点差で大敗し、その戦犯はぶざまなプレーの連続で12点、3リバウンドに終わったジャバーだった。面目を失った彼は、翌日のミーティングでチームメイト一人ひとりに謝罪。「こんなプレーは二度としない」と約束した。その言葉通り、第2戦は30点、17リバウンドと見違えるようなプレーで勝利に貢献。第5戦は36点、第6戦も29点と全盛期を思わせる活躍で、38歳にして14年ぶり2度目のファイナルMVPに輝いた。
 
 88-89シーズン、42歳のジャバーは開幕前から引退を宣言し、同シーズンは彼のフェアウェル・ツアーと化した。レギュラーシーズン最終戦の引退セレモニーでは、チームメイトたちからロールスロイスをプレゼントされた。「こんなプレゼントは今までなかっただろう。でも、カリームのような選手もどこにもいなかったのだ」(マジック)。通算1560試合出場、3万8387得点はいずれも引退時点で史上最多。その後出場記録は更新されたものの、得点記録は今でも最多の地位を保持している。

 引退後は黒人の歴史やジャズに関する著作を発表したり、2005年からはレイカーズのアシスタントコーチとして後進の指導にあたっている。09年には白血病であることを告白した。「病気に対する理解度を高め、多くの生命を救う」のが目的だったが、幸い早期に発見されたおかげで、生命への別状はなかった。

 公表直後から、ジャバーの元には見舞いの電話やコメントがひっきりなしに舞い込み、彼を感激させた。現役時代、実力に見合った人気を得ていなかったジャバーにとって、人々の暖かい励ましの声は特別に心に響いた。世間を向こうに回して、孤独な戦いを挑んでいたアルシンダー青年の姿はもはやない。今の彼は、カリーム・アブドゥル・ジャバー ――「気高く、力強い神の僕」という意味を込めた名前にふさわしい人物となっている。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2010年2月号掲載原稿に加筆・修正

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