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NBA

【NBAデュオ列伝】KG&マーブリー――ミネソタを沸かせた若きデュオの「出会い」と「確執」|前編

出野哲也

2020.10.16

ニューヨークのプレーグラウンドで腕を磨いたマーブリーは、NBA入り前から将来を期待された有望選手だった。(C)Getty Images

ニューヨークのプレーグラウンドで腕を磨いたマーブリーは、NBA入り前から将来を期待された有望選手だった。(C)Getty Images

 マーブリーは自分の通うニューヨークのリンカーン高校への転校をKGに持ちかけた。KGの心は動いたが、最終的には別の友人の勧めでシカゴのファラガット・アカデミーを転校先に選び、マーブリーとのコンビが実現する日は先に持ち越された。

 マーブリーもまた、地元のニューヨークでは知らない者がいないほど有望な選手だった。彼にはエリック、ドニー、ノーマンという3人の兄がいて、いずれも将来を嘱望されたバスケットボール選手だったが、NBAには誰も進めなかった。兄弟の中で最も才能があると見込まれていたステフォンは、家族の期待を一身に集めていた。

 子供のころからプレーグラウンドで鍛えられただけあって、高校生になる頃には、彼のボールハンドリングはプロ顔負けにまでなっていた。パスセンスや瞬発力もあり、思いのままにドライブして得点をあげることができた。ただ性格にはやや問題があった。自らの実力を鼻にかけて下手な選手を見下したり、思うようにプレーできない時に感情を爆発させたりしていたのだ。
 
 そんなマーブリーのことを雑誌が取り上げ、態度の悪さと思い上がった様を憂いたことがあった。その記事を読んだマーブリーは反省し、トラッシュトークを慎み、勉学にも力を入れ、バスケットボールをより真剣にとらえるようになった。人間的な成長はプレーの質の向上をもたらし、マーブリーの評価を一段と高める結果となった。

 1994年、スポーツ専門誌『ストリート・アンド・スミス』はKGを全米最高の高校生選手、マーブリーをオールアメリカ1stチームに選出した。2人とも有力校からの誘いが引きも切らなかったが、KGは大学ではなくNBA入りを決断した。NBAスカウトの高い評価に加え、学業の成績が思わしくなかったのも理由だった。だが、その当時大学バスケットを経験せずにNBA入りする選手は皆無に等しく、KGにとってもNBA側にとっても大きな賭けだった。
 
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