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NBA

ユーイングはニックス以外で“スーパーカルテット”を形成する可能性があった!?「実現させようとしたが…」

ダンクシュート編集部

2020.11.13

 ユーイングはインタビューの中で、キャリアで最も優勝に近づいた1993-94シーズン、98-99シーズンについても回顧している。

「私たちはファイナルに2回出場した。そのうち1回(1998-99シーズン)は、不幸にも(アキレス腱の)ケガで試合に出られなかった。でも、私たちは良いチームだったし、素晴らしい戦いをしていた。実際には対戦していないから“おそらく”と言わざるを得ないけど、マイケル擁するブルズを倒せるチャンスがあった年(1996-97シーズン)にチャーリー・ウォードとPJ・ブラウンの乱闘が起こった。私はコートに足を踏み入れたあとに、すぐに戻ったけど、第6戦を出場停止になった。正直、腹が立ったよ」

 ニックスは97年のカンファレンス準決勝でマイアミ・ヒートと対戦。3勝1敗と王手をかけて迎えた第5戦、ウォードとブラウンのもみ合いをきっかけに両チームの選手が入り乱れる大乱闘に発展した。ヒートはブラウンのみが出場停止となったが、ニックス側はユーイングやアラン・ヒューストンら主力がベンチを離れたために第6戦を出場停止となり、最終的に第7戦で敗れて逆転での敗退を喫した。
 
「パット・ライリーはニューヨークを去って、マイアミに行った。知っての通り、私とアロンゾ(モーニング)は友人だ。だけどひとたびコートに立てば、激しくやり合っていた。パット・ライリーはニューヨークで、最もタフでフィジカルに強いチームを作ろうとしていた。そして、マイアミでも同じことをしようとしていた。同じアイデンティティーを持つチームが激突するんだ。何が起こってもおかしくない。チャーリー・ウォードがPJ・ブラウンをボックスアウトしようとして、それに苛立って掴んでコートに投げ飛ばした。でも、私たちはシカゴやインディアナともやり合っていた。今とは違うが、当時はリーグ全体でもそれが当たり前だった。チームには究極のヒットマン(チャールズ・オークリー)がいたしね」

 もし、乱闘が起こらず、ニックスがカンファレンス決勝でジョーダン擁するブルズと対戦していたら――。ユーイングのキャリアは違ったものになっていたかもしれない。

構成●ダンクシュート編集部

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