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NBA

『ベイビー・シャック』が引退。2006年日本開催の世界選手権で、アメリカ代表を破ったギリシャの巨漢

小川由紀子

2020.12.13

日本で開催された世界選手権で準優勝、2014年にはユーロリーグ制覇を果たすなど多くの栄冠を味わった。(C)Getty Images

日本で開催された世界選手権で準優勝、2014年にはユーロリーグ制覇を果たすなど多くの栄冠を味わった。(C)Getty Images

 また、2009年のユーロバスケットでも、スロベニアとの3位決定戦でゲームハイの23得点をマークし、57-56という接戦を制して銅メダルを獲得する原動力となった。

 父親はギリシャ人。高身長は、祖父が210cmを超えていたというカメルーン人の母系の血筋だ。初めてバスケをした6、7歳の頃はまったく興味を持たなかったが、13歳頃、地元の友達とプレーするようになってからハマり出し、その2年後にはテッサロニキのプロクラブ、イラクリスとプロ契約を結んでいた。

 18歳になった直後のNBAドラフトでは、ロサンゼルス・クリッパーズから2巡目34位で指名を受ける。のちに日本で対戦することになるレブロンが、全体1位指名を受けた2003年のドラフトだ。ただスコーツァニティスはアメリカには渡らずに、欧州で経験を積む選択を取る。18歳の彼にとって理にかなった選択ではあったが、その後2005年にオリンピアコスと契約したことは、ギリシャきっての強豪で成長する機会を得たと同時に、ずっと目標にしていたNBA行きを遠のかせることにもなった。
 
 オリンピアコスとの契約が満了したのは、ドラフトから7年が経過した2010年。その間もクリッパーズはスコーツァニティスを絶えずモニタリングしていて、当時25歳だった彼はその夏のサマーキャンプに参加したが、契約には至らなかった。

 その理由を当時のゼネラルマネジャー、ニール・オルシェイ(現ポートランド・トレイルブレーザーズGM)はこう語っている。

「彼がこのレベルで通用することは間違いない。しかしそれをサマーリーグで発揮するのは難しい。ハーフコートでスクリーンをセットしたり、フィジカル能力を生かしたプレーをするのが彼の持ち味だが、サマーリーグはもっとさらっとしたピックアップのようなゲームだからね」

 NBAのスカウト陣も「ゴール下を支配できる能力はヨーロッパ人選手でNo.1」と高く評価していただけに、アメリカでどれだけ通用するのか見てみたかった人は多いだろう。なにより彼こそがその1人だった。
 
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