【シューティングガード】
マイク・ミラー
1980年2月19日生。203cm・98kg
在籍期間:6シーズン半(2003~08、13~14)
成績:453試合、平均13.2点、4.5リバウンド、3.0アシスト
スマートなプレーが売り物だったシェーン・バティエや、コビー・ブライアントをも悩ませたディフェンスの達人トニー・アレンも捨てがたいが、ここでは3ポイントの名手ミラーを選択した。身長203cmの大型スウィングマンで、オーランド・マジックに入団した2000-01シーズン、平均11.9点ながら新人王に選出。2002-03シーズン途中にグリズリーズへ移籍し、2005年からは4年続けて3ポイント成功率4割超え、主にベンチから出場した2005-06シーズンは平均13.7点をあげ、チーム史上初、そして現時点で唯一のシックスマン賞に輝いた。
先発に戻った次のシーズンは自己最多の平均18.5点。その後2012、13年はマイアミ・ヒートで再びバティエと一緒になり、チームの2連覇に貢献してレブロン・ジェームスから「最高のチームメイトの1人」と賞賛された。グリズリーズに戻った2014年はリーグ2位の3ポイント成功率45.9%、通算でも成功数、成功率の両部門で歴代30位以内に入っている。
【スモールフォワード】
パウ・ガソル
1980年7月6日生。213cm・113kg
在籍期間:6シーズン半(2001~08)
成績:476試合、平均18.8点、8.6リバウンド、3.1アシスト
言うまでもなく、パウの本職はパワーフォワード/センターだ。しかしグリズリーズのベスト5を選ぶ際、絶対外せない3選手がそのポジションに集まってしまったので、一番融通の利きそうなパウを、無理を承知でSFとした。
グリズリーズがバンクーバーからメンフィスに移転した2001年、ドラフト3位でアトランタ・ホークスが指名。バンクーバー時代のエースだったシャリーフ・アブドゥル・ラヒームとのトレードで加入し、平均17.6点、8.9リバウンドで新人王に選出されたが、これはチームにとって最初のメジャーアウォード受賞者となった。
2004年には初めてグリズリーズをプレーオフへ導き、さらに2006年にはこれまたチーム初のオールスターに出場。2007-08シーズン途中にロサンゼルス・レイカーズへトレードされ、2009、10年の2連覇に大きく貢献したこともあり“レイカーズの選手”というイメージが強いのは否めないが、出場試合数はグリズリーズでの476試合のほうが多い。
マイク・ミラー
1980年2月19日生。203cm・98kg
在籍期間:6シーズン半(2003~08、13~14)
成績:453試合、平均13.2点、4.5リバウンド、3.0アシスト
スマートなプレーが売り物だったシェーン・バティエや、コビー・ブライアントをも悩ませたディフェンスの達人トニー・アレンも捨てがたいが、ここでは3ポイントの名手ミラーを選択した。身長203cmの大型スウィングマンで、オーランド・マジックに入団した2000-01シーズン、平均11.9点ながら新人王に選出。2002-03シーズン途中にグリズリーズへ移籍し、2005年からは4年続けて3ポイント成功率4割超え、主にベンチから出場した2005-06シーズンは平均13.7点をあげ、チーム史上初、そして現時点で唯一のシックスマン賞に輝いた。
先発に戻った次のシーズンは自己最多の平均18.5点。その後2012、13年はマイアミ・ヒートで再びバティエと一緒になり、チームの2連覇に貢献してレブロン・ジェームスから「最高のチームメイトの1人」と賞賛された。グリズリーズに戻った2014年はリーグ2位の3ポイント成功率45.9%、通算でも成功数、成功率の両部門で歴代30位以内に入っている。
【スモールフォワード】
パウ・ガソル
1980年7月6日生。213cm・113kg
在籍期間:6シーズン半(2001~08)
成績:476試合、平均18.8点、8.6リバウンド、3.1アシスト
言うまでもなく、パウの本職はパワーフォワード/センターだ。しかしグリズリーズのベスト5を選ぶ際、絶対外せない3選手がそのポジションに集まってしまったので、一番融通の利きそうなパウを、無理を承知でSFとした。
グリズリーズがバンクーバーからメンフィスに移転した2001年、ドラフト3位でアトランタ・ホークスが指名。バンクーバー時代のエースだったシャリーフ・アブドゥル・ラヒームとのトレードで加入し、平均17.6点、8.9リバウンドで新人王に選出されたが、これはチームにとって最初のメジャーアウォード受賞者となった。
2004年には初めてグリズリーズをプレーオフへ導き、さらに2006年にはこれまたチーム初のオールスターに出場。2007-08シーズン途中にロサンゼルス・レイカーズへトレードされ、2009、10年の2連覇に大きく貢献したこともあり“レイカーズの選手”というイメージが強いのは否めないが、出場試合数はグリズリーズでの476試合のほうが多い。