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NBA

ネッツの「歴代ベスト5」2人のスラムダンカーを稀代の名司令塔が操る豪華布陣に!現役から唯一選ばれたのは…

杉浦大介

2021.01.19

【シューティングガード】
ヴィンス・カーター
1977年1月26日生。198cm・100kg
在籍期間:5シーズン(2004~09)
成績:374試合、平均23.6点、5.8リバウンド、4.7アシスト

 ネッツをファイナル進出に導くことはできなかったものの、カーターが残した印象は鮮烈だった。モチベーションを失ったトロント・ラプターズ時代の晩年はパフォーマンスが落ちていたが、2003年にネッツに移籍して再生。代名詞となった豪快なダンクと切れ味鋭いドライブで、リーグ屈指のスコアラーという評価を取り戻した。

 オールスターにも4年連続で出場し、平均得点は球団史上3位。もともとチームの顔になることを好むタイプではなかったため、キッドという絶対的なリーダーの隣でプレーしやすかったのだろう。注目度も高いとはいえないニュージャージーのアリーナで、キッド、ジェファーソンとともにのびのびと楽しそうにプレーする姿が印象的だった。

 本来であれば、キッドと並び立つもう1人のガードには、ドラゼン・ペトロビッチが選ばれて然るべきだったのかもしれない。クロアチアが産んだ天才は、1992-93シーズンに平均22.3点、3ポイント成功率44.9%とキャリアハイの成績をマーク。しかしその直後のオフシーズン中、ドイツでの交通事故で28歳にしてこの世を去ってしまう。NBA史上に残る“What if(もしも)”。このペトロビッチが生きていれば、もしかしたらネッツ史上最高級のプレーヤーになっていたかもしれない。
 
【スモールフォワード】
ジュリアス・アービング
1950年2月22日生。201cm・95kg
在籍期間:3シーズン(1973~76)
成績:252試合、平均28.2点、10.9リバウンド、5.2アシスト

 1970年代に一世を風靡した通称“ドクターJ”。希有なバネを生かした鮮やかなダンクは芸術品と称され、ABA史上最高の選手と高く評価されている。ネッツには1973~76年に所属し、2度の優勝に大きく貢献。2度の得点王、3年連続のMVPを獲得するなど、文字通りのスーパースターだった。

 1976年、ABAオールスターで初めて行なわれたダンクコンテストでは、フリースローラインからジャンプしてそのままゴールにボールを叩き込むという大技を披露。初代ダンク王に輝いたパフォーマンスも伝説として記憶されている。近年の選手では、2000年代にキッドやカーターとプレーし、ここまで何度か名前が登場しているジェファーソン(平均17.4点、5.4リバウンド)もいたが、やはり“ドクターJ”のインパクトには及ばない。
 
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