もっとも、ミラーの真価はそういった数字を超越したところにあったのだろう。最高級のクラッチプレーヤーであり、“ミラータイム”と称された奇跡的なパフォーマンスでシカゴ・ブルズ、ニューヨーク・ニックスといったライバルチームを恐れさせた。特に1995年、ニックスとのイースタン・カンファレンス・セミファイナル第1戦で、残り8.9秒から8得点を連取してニューヨーカーを失意のどん底に叩き落としたパフォーマンスは今なお語り継がれている。
また、ミラーはトラッシュトーカーとしても歴史的なレベルにあった。ニューヨークでコートサイドの常連だった映画監督のスパイク・リーとやりあったことも有名な話だ。このように、鮮やかなキャリアを彩るエピソードは枚挙にいとまがない。実にカラフルな忘れ難きスーパースターだった。
【スモールフォワード】
ポール・ジョージ
1990年5月2日生。203cm・99kg
在籍期間:7シーズン(2010~2017)
成績:448試合、平均18.1点、6.3リバウンド、3.2アシスト
2010年のドラフト1巡目10位でペイサーズから指名されたジョージは、入団時の期待度を上回るスピードで急成長を続けていった。2年目にはMIPに輝き、在籍中にオールスターにも4度出場。プレーオフでは毎年のようにマイアミ・ヒートと対戦し、デイビッド・ウエスト、ロイ・ヒバート、ランス・スティーブンソンらとともに、レブロン・ジェームズ、ドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュの“ビッグ3”をイースタン・カンファレンスのほかの誰よりも苦しめたことでも印象深い。
また、2014年夏にはアメリカ代表のゲーム中に右足の腓骨と脛骨を開放骨折する重傷を負いながら、懸命なリハビリで2015年4月に意外な速さで復帰してファンを驚かせた。大ケガ後もパフォーマンスは落ちず、インディアナでの7年間で平均18.1点、6.3リバウンド、3.2アシストを記録。そのままペイサーズに残っていたら、ミラーをも凌駕するチーム史上最高のプレイヤーとなっていたかもしれない。
一時の人気を考えれば、チームとの関係が悪化した末に2017年夏にオクラホマシティ・サンダーに放出されたことは残念だった。ただ、それでも時の流れがすべてを解決し、ジョージの背番号はいずれ永久欠番となるだろう。
また、ミラーはトラッシュトーカーとしても歴史的なレベルにあった。ニューヨークでコートサイドの常連だった映画監督のスパイク・リーとやりあったことも有名な話だ。このように、鮮やかなキャリアを彩るエピソードは枚挙にいとまがない。実にカラフルな忘れ難きスーパースターだった。
【スモールフォワード】
ポール・ジョージ
1990年5月2日生。203cm・99kg
在籍期間:7シーズン(2010~2017)
成績:448試合、平均18.1点、6.3リバウンド、3.2アシスト
2010年のドラフト1巡目10位でペイサーズから指名されたジョージは、入団時の期待度を上回るスピードで急成長を続けていった。2年目にはMIPに輝き、在籍中にオールスターにも4度出場。プレーオフでは毎年のようにマイアミ・ヒートと対戦し、デイビッド・ウエスト、ロイ・ヒバート、ランス・スティーブンソンらとともに、レブロン・ジェームズ、ドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュの“ビッグ3”をイースタン・カンファレンスのほかの誰よりも苦しめたことでも印象深い。
また、2014年夏にはアメリカ代表のゲーム中に右足の腓骨と脛骨を開放骨折する重傷を負いながら、懸命なリハビリで2015年4月に意外な速さで復帰してファンを驚かせた。大ケガ後もパフォーマンスは落ちず、インディアナでの7年間で平均18.1点、6.3リバウンド、3.2アシストを記録。そのままペイサーズに残っていたら、ミラーをも凌駕するチーム史上最高のプレイヤーとなっていたかもしれない。
一時の人気を考えれば、チームとの関係が悪化した末に2017年夏にオクラホマシティ・サンダーに放出されたことは残念だった。ただ、それでも時の流れがすべてを解決し、ジョージの背番号はいずれ永久欠番となるだろう。