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国内バスケ

加入1年目からアルバルクの得点源に!スパーズ入りをパスし異国で成功を収めたデション・トーマスのキャリア<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2021.05.09

オハイオ州大では後にNBAでプレーするサリンジャー(中央)とプレーした。(C)Getty Images

オハイオ州大では後にNBAでプレーするサリンジャー(中央)とプレーした。(C)Getty Images

 ユーロリーグにも初参戦し、選手としてひと回り成長した様子を評価され、シーズンオフにスパーズのトレーニングキャンプに参加。しかし開幕ロースターには残れず、下部組織のオースティン・スパーズで1シーズンを過ごした。

「子どもの頃からNBAの選手になるのを夢見ていたから、一度は(NBAを)体験してみたかった。選手もスタッフもコーチ陣も素晴らしくて、この1年はかけがえのない経験ができた。でもそれからのことを考えた時、また別の挑戦がしたいと思った」(トーマス)

 16年に彼は再び欧州に戻り、ユーロリーグのファイナル4常連になりつつあったフェネルバフチェに追いつけ追い越せと補強を敢行していたトルコのアナドール・エフェスに入団した。

 その後は、ユーロリーグ6冠を誇るイスラエルのマッカビ・テルアビブ、同じくユーロリーグで6度の優勝経験を誇るギリシャのパナシナイコスで国内チャンピオンに輝き、強豪クラブから引っ張りだこの選手になった。パナシナイコスでは、15年の同じ日にスパーズから解雇されたジマー・フレデッテと再会する奇妙な縁もあった。

 欧州屈指のプレーヤーが集まるパナシナイコスでは、ユーロリーグでチームトップの平均13.9点を稼いだだけでなく、感情を剥き出しにするエネルギッシュなプレーは、熱いパナシナイコスファンを虜にした。
 
 トーマスもインタビューで、自身のパフォーマンスでファンの支持を勝ち得たギリシャでの体験には大きな達成感があったと語っている。

 にもかかわらず契約を1年残してチームを去ることになったのは、一説によれば財政面といったクラブ事情のため。自由契約となった彼には、スペインのバレンシアやバスコニアが獲得に乗り出し、バスコニアとは契約成立秒読みと報じられたが、コロナ禍の影響もあって交渉が思うように進まず。アルバルク東京から魅力的なオファーを受けたことでサインに至ったという。

 彼にとって東京の印象は“清潔なニューヨーク”。「街の感じとかはニューヨークに似ているけど、ゴミがまったく落ちていなくてものすごく清潔」

 地元インディアナのメディアとのポッドキャストでは、「日本は食べ物が最高。寿司も美味しい。アメリカで知っていた日本食とは、まったく、まったく、別物だったよ!」と熱くアピール。ちなみにスイーツ好き男子だそうで、日本のケーキやグミにはまっているらしい。

 インスタグラムでプロ選手とのインタビューをLIVE配信しているスペイン人のハイメ・サパター氏とのインタビューの中で、トーマスはBリーグについて以下のように述べている。

「まずスキルがある。それから、選手がスマートなプレーをする。例えば小柄な選手でも、それを逆手にとって、ビッグマンの陰に隠れるような動きをするんだ」
 
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