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NBA

【NBA背番号外伝】初の欠番ホーキンスを筆頭に、ウォージー、ブランドら職人選手が多く着用した「42」の歴史<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.07.14

 ブルーワーカーとしてどのチームでも重宝されたPJ・ブラウンは、セルティックスで93番だったのを除いてずっと42番。ブルズの最初の3連覇をバックアップとして支えたスコット・ウィリアムズを記憶している人も多いだろう。80年代にニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツなどのセンターだったマイク・ジミンスキーは、現役最後に8試合だけ出たバックス時代を除き、14年間ずっと42番を通した。

 アウトサイドシュートが得意なケビン・ラブも、プレースタイルに若干の違いはあるが、大筋ではこのラインから外れていない。UCLA時代から背番号42で、同大学ではウォルター・ハザードの欠番になっていたのを、本人の許可を得て着用していた。ミネソタ・ティンバーウルブズ時代にずっと42番で、キャバリアーズ移籍後はサーモンドの欠番だったため0番に変更した。ハザードはプロでもレイカーズなど4球団で42番を背負い、オールスターにも出場している。
 
 ビッグマンではないが、好守のガードとして知られたトニー・アレンもセルティックス時代はこの番号。チームプレー優先、ディフェンス重視のスタイルは42番のイメージに合っている。

 プロ入り時の期待に応えられなかった42番には、パービス・エリソンがいる。89年にドラフト1位指名された才能豊かなセンターで、92年にMIPを受賞したが、その後は尻すぼみだった。ロイ・タープリーも非常に高いポテンシャルの持ち主で、88年から4年連続で得点とリバウンドのダブルダブルをマークしたが、麻薬に溺れ3年間も出場停止を喰らい、30歳で引退を余儀なくされた。

 シューター系の42番はルーシャス・アレン、現役のダービス・ベルタンス(ウィザーズ)、そしてジェリー・スタックハウスが挙げられる。ノースカロライナ州出身のスタックハウスにとって、42番は子どもの頃に憧れたウォージーの番号だったが、その後ロビンソンの偉大さを知り、シューズに〝42〞〝ジャッキー〞と書き込むようになった。12年にブルックリン・ネッツへ移籍し、ロビンソン以来、ブルックリンのプロスポーツチームで初めて42番をつけた選手となっている。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2013年12月号原稿に加筆・修正

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