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東京五輪

東京五輪が最後の舞台に。アルゼンチンの生ける伝説ルイス・スコラが示した“ベテランの美しき去り際”と“セカンドキャリア”<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2021.09.24

2019年のW杯ではアルゼンチンを準優勝に牽引。スコラは大会ベスト5に選ばれた。(C)Getty Images

2019年のW杯ではアルゼンチンを準優勝に牽引。スコラは大会ベスト5に選ばれた。(C)Getty Images

 40歳で迎えるはずだった東京オリンピックを、彼は節目と考えていたように思う。

 忘れられないシーンがある。2019年に中国で行なわれたワールドカップの、決勝戦の後のことだ。

 この大会の期間中、メディアの間ではスコラの引退時期についてたびたび話題に上がり、決勝でアルゼンチンがスペインに敗れると、ひょっとしたらこれが最後か、という声も出ていた。試合後、英語圏のメディアがおそらく軽い気持ちで、「この試合を機に引退する、という噂がありますが?」という質問をスコラに向けた。

 複数の記者が多方向から質問を投げかけて混沌としていたその場では、その質問自体、誰もが聞き取れるようなものではなかった。しかし、スコラは瞬時にキャッチすると、喧騒を遮るように「誰が言った?」と真剣な眼差しで記者を見つめ返した。

 いつにない食い入るような様子にその場が静止すると、さらにスコラは「そんなことは、私は絶対に言っていない!私は一度も言っていない!」と繰り返したのだった。
 
 アスリートの誰もがいずれ向き合うことになる「引退」という選択。平均的な引退年齢よりも長くキャリアを続けてきた彼にとって、それはいっそう重みのあるものになっていたに違いない。噂レベルで軽々しく話題に出せるものではないのだ、という彼の覚悟を、その時の態度に見た気がした。

 東京五輪が1年延期になった時には、「この年齢のアスリートにとっての1年は長い」とだけ語り、彼は出場を明言はしなかった。

 しかし、シーズン終了の翌日から次のシーズンへ向けてのトレーニングキャンプに入るほど、絶えず鍛錬を重ねていたスコラなら、必ず東京の舞台に立つとファンは信じていた。アテネ五輪でともに金メダルを勝ち取った盟友マヌ・ジノビリも、「彼の五輪行きを止めるには頭を撃ち抜くしかない。彼自身に多くの喜びを与え、そして彼自身が多くの喜びを与えたあのジャージーでプレーすることで、彼は(キャリアを)終えるに値する」とメッセージを寄せている。

 そしてスコラは、約束の地に立った。初戦のスロベニア戦でいきなりチーム最多の23得点をマークすると、日本戦でもゲームハイの23得点と、まさに大黒柱としての働きで準々決勝進出に導いたのだった。
 
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