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NBA

【NBA背番号外伝】代表格はジノビリ、ペイトン、アレン。ガードの名手たちが着用した「20番」を振り返る<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.10.16

 そのほかにも20番のガードには好選手が多い。ラリー・ジークフリードは60年代のセルティックスで控えを務め、5度の優勝に貢献。73年のドラフト1位ダグ・コリンズは、正確なシュートを武器に4回オールスターに選ばれ、引退後はHCとなってシカゴ・ブルズでマイケル・ジョーダンを指導した。

 優れたディフェンダーだったフィル・スミスは、アキレス腱を断裂して30歳の若さで引退したものの、ルーキーイヤーの75年にゴールデンステイト・ウォリアーズで優勝を経験している。マイケル・レイ・リチャードソンは麻薬に溺れ、スミス同様30歳でリーグを去ったが、スピーディーな動きでスティール王に3度輝き、80年にはアシスト王との2冠を成し遂げた。

 オールスター級の実力を秘めながらケガに泣いたラリー・ヒューズは、05年にウィザーズでスティール王のタイトルを獲得。95年にラプターズ初のドラフト指名選手となったデイモン・スタッダマイアーは平均19.0点、9.3アシストをマークし、新人王を獲得している。

 88-89シーズンに3ポイント成功率でリーグ1位となったジョン・サンドボルド、00-02年のレイカーズ3連覇時に控えPGを務めたブライアン・ショウ、01年のファイナルを戦ったフィラデルフィア・セブンティシクサーズのエリック・スノウも忘れ難い。名選手リック・バリーの息子ジョンはキャリア平均5.7点と平凡ながら、3ポイント成功率は通算39.2%と優秀だった。フレッド・スコラーリは、左目が見えず右耳も聞こえないハンデを乗り越え、NBAの前身であるBAA初年度にフリースロー成功率で1位となった。
 
 ガード陣ほどではないが、フォワードやセンターにも好選手はいる。冒頭で述べたルーカスは、武闘派のPFとしてポートランド・トレイルブレイザーズのインサイドを支え、77年には優勝の立役者になった。チームに在籍したのは4年半でも、88年に同番号初の欠番となっている。

 50年代を代表するセンターのエド・マコーリーはセントルイス(現アトランタ)・ホークス時代に、殿堂入りの名センターであるモーゼス・マローンは77年にバッファロー・ブレーブス(現ロサンゼルス・クリッパーズ)で2試合だけ20番を着けた。現役ではゴードン・ヘイワード(シャーロット・ホーネッツ)、ジョン・コリンズ(ホークス)がいる。

 そのほか変わったところでは、MLBの投手として通算146勝をあげたロン・リードが、“二刀流”選手として2年間在籍したピストンズで20番を背負った。レオン・ウッドは84年のロサンゼルス五輪でジョーダンらとともにプレー。プロでは大成しなかったが、その後レフェリーに転身し25年にわたって務め上げている。

 現在Bリーグで活躍中のニック・ファジーカス(川崎ブレイブサンダース)、ジェームズ・マイケル・マカドゥー(サンロッカーズ渋谷)、元川崎のルー・アマンドソンや元三遠ネオフェニックスのカルティエ・マーティンも、NBA時代は背番号20を着けていた。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2015年1月号掲載原稿に加筆・修正

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