【スモールフォワード】
ドミニク・ウィルキンス
1960年1月12日生。203cm・98kg
1982年ドラフト3位
キャリアスタッツ:1074試合、平均24.8点、6.7リバウンド、2.5アシスト
グラント・ヒル(1994年3位)やカーメロ・アンソニー(ロサンゼルス・レイカーズ/2003年3位)も有力な候補だが、ここではジョーダンのライバル的存在だったウィルキンスを選んだ。
特にダンカーとしての実力はジョーダンに勝るとも劣らず、85年のスラムダンク・コンテストでは直接対決で優勝。88年の頂上決戦では敗れたが、90年にも2度目の優勝を飾っている。
もちろん選手としても優秀で、85-86シーズンは平均30.3点で得点王になり、87、88、93年もジョーダンに次いで2位。通算2万6668点は引退時点で史上8位、現在でも16位にランクされている。
ジョージア大で活躍した後、82年のドラフトではユタ・ジャズに3位で指名されたが入団に難色を示し、2選手+100万ドルとの交換で、大学時代を過ごしたアトランタのホークスへ移籍した。後年になって、ジャズに入っていればジョン・ストックトン、カール・マローンとともに何度か優勝できたかもしれない……と認めつつも、ホークス入りを後悔してはいないと語っている。
【パワーフォワード】
ケビン・マクヘイル
1957年12月19日生。208cm・95kg
1980年ドラフト3位
キャリアスタッツ:971試合、平均17.9点、7.3リバウンド、1.7アシスト
1980年のドラフトで、ゴールデンステイト・ウォリアーズは3位指名権とロバート・パリッシュをセルティックスへ差し出し、1位指名権を手に入れた。彼らが選択したジョー・バリー・キャロルが今ひとつだったのに対し、セルティックスが指名したミネソタ大のマクヘイルは、NBA史上最高の75人の1人となった。
キャリアの半分以上は控え選手として起用され、シックスマン賞にも2度選ばれたが、唯一全試合で先発出場した86-87シーズンは平均26.1点、9.9リバウンド、リーグ1位のフィールドゴール成功率60.4%を記録。一旦ローポストでボールを手にすれば、軟体動物を思わせるムーブを駆使してボールをゴールに放り込んだ。
守備でも6回オールディフェンシブチームに選出。ともに加入したパリッシュも名センターに成長し、このトレードはセルティックス最大の成功にしてウォリアーズ最大の失敗に数えられている。マクヘイルの1年後、81年に3位指名されたバック・ウィリアムズも、かつてのPFのイメージだった質実剛健さを体現したような好選手だった。
ドミニク・ウィルキンス
1960年1月12日生。203cm・98kg
1982年ドラフト3位
キャリアスタッツ:1074試合、平均24.8点、6.7リバウンド、2.5アシスト
グラント・ヒル(1994年3位)やカーメロ・アンソニー(ロサンゼルス・レイカーズ/2003年3位)も有力な候補だが、ここではジョーダンのライバル的存在だったウィルキンスを選んだ。
特にダンカーとしての実力はジョーダンに勝るとも劣らず、85年のスラムダンク・コンテストでは直接対決で優勝。88年の頂上決戦では敗れたが、90年にも2度目の優勝を飾っている。
もちろん選手としても優秀で、85-86シーズンは平均30.3点で得点王になり、87、88、93年もジョーダンに次いで2位。通算2万6668点は引退時点で史上8位、現在でも16位にランクされている。
ジョージア大で活躍した後、82年のドラフトではユタ・ジャズに3位で指名されたが入団に難色を示し、2選手+100万ドルとの交換で、大学時代を過ごしたアトランタのホークスへ移籍した。後年になって、ジャズに入っていればジョン・ストックトン、カール・マローンとともに何度か優勝できたかもしれない……と認めつつも、ホークス入りを後悔してはいないと語っている。
【パワーフォワード】
ケビン・マクヘイル
1957年12月19日生。208cm・95kg
1980年ドラフト3位
キャリアスタッツ:971試合、平均17.9点、7.3リバウンド、1.7アシスト
1980年のドラフトで、ゴールデンステイト・ウォリアーズは3位指名権とロバート・パリッシュをセルティックスへ差し出し、1位指名権を手に入れた。彼らが選択したジョー・バリー・キャロルが今ひとつだったのに対し、セルティックスが指名したミネソタ大のマクヘイルは、NBA史上最高の75人の1人となった。
キャリアの半分以上は控え選手として起用され、シックスマン賞にも2度選ばれたが、唯一全試合で先発出場した86-87シーズンは平均26.1点、9.9リバウンド、リーグ1位のフィールドゴール成功率60.4%を記録。一旦ローポストでボールを手にすれば、軟体動物を思わせるムーブを駆使してボールをゴールに放り込んだ。
守備でも6回オールディフェンシブチームに選出。ともに加入したパリッシュも名センターに成長し、このトレードはセルティックス最大の成功にしてウォリアーズ最大の失敗に数えられている。マクヘイルの1年後、81年に3位指名されたバック・ウィリアムズも、かつてのPFのイメージだった質実剛健さを体現したような好選手だった。