そのドンチッチとキャリア最後の1年だけ共闘したのが、ダラスの大先輩であるノビツキーだ。21年に及んだNBAのキャリアで、オールスターに14回出場、2007年にリーグMVPに輝いたほか、11年には球団初優勝をもたらした。
彼は自身が活躍しただけでなく、バスケがそれほど盛んではなかった母国ドイツでこの競技の水準を高めた点でも多大な貢献をしている。その証拠に、現在もオーランド・マジックのフランツとモーのヴァグナー兄弟、ダニエル・タイス(ボストン・セルティックス)、デニス・シュルーダー(ヒューストン・ロケッツ)ら、ドイツ国籍の選手が7人もNBAに所属している。
ガソルは18年間のNBAキャリアの中で、レイカーズ時代に2度優勝を経験。サイズに頼らず、巧さやIQを生かしたプレーは、ヨーロピアンスタイルのビッグマン像を象徴し、弟のマルクとともに欧州のバスケ大国スペインのプライドをアメリカに印象づけた。
ドンチッチ同様、すでにスペインのバルセロナでキャリアを確立していた彼は、NBA初年度からスターターに定着して17.6点、8.9リバウンドと主力級の活躍。ドラフト(2001年)でホークスに3位指名されて、トレード先(メンフィス・グリズリーズ)でデビュー、そこで新人王を獲得、という足跡もドンチッチと似通っている。故コビー・ブライアントとの友情も、NBAファンには知られるところだ。
ここからは2ndチーム。まずはNBAの昨季MVPであるニコラ・ヨキッチ。彼は欧州時代はユーロリーグにも参加していない母国セルビアのクラブ、メガ・バスケットでプレーしていた。
もっともこのチームは、欧州にその名を轟かせる辣腕エージェントが率いる“ドラフト候補生養成所”的なクラブであり、ヨキッチも19歳だった2014年に、NBAドラフトでデンバー・ナゲッツから41位で指名されてデビューした。
当時は欧州でも彼の名前はそれほど有名ではなく、「あんなオーバーサイズの選手で大丈夫か?」といった声もスカウトマンたちの間で囁かれたが、子ども時代から知る地元記者やコーチの間では、ずば抜けたビジョンを持っていたヨキッチの成功になんの疑いもなかった。
ルーキーイヤーは平均10.0点、7.0リバウンド、2.4アシストだったが、7年目の今季は27.1点、13.8リバウンド、7.9アシストとモンスター級の選手に成長。昨季はドラフトで最も低い順位で指名されたMVPとなった。
彼は自身が活躍しただけでなく、バスケがそれほど盛んではなかった母国ドイツでこの競技の水準を高めた点でも多大な貢献をしている。その証拠に、現在もオーランド・マジックのフランツとモーのヴァグナー兄弟、ダニエル・タイス(ボストン・セルティックス)、デニス・シュルーダー(ヒューストン・ロケッツ)ら、ドイツ国籍の選手が7人もNBAに所属している。
ガソルは18年間のNBAキャリアの中で、レイカーズ時代に2度優勝を経験。サイズに頼らず、巧さやIQを生かしたプレーは、ヨーロピアンスタイルのビッグマン像を象徴し、弟のマルクとともに欧州のバスケ大国スペインのプライドをアメリカに印象づけた。
ドンチッチ同様、すでにスペインのバルセロナでキャリアを確立していた彼は、NBA初年度からスターターに定着して17.6点、8.9リバウンドと主力級の活躍。ドラフト(2001年)でホークスに3位指名されて、トレード先(メンフィス・グリズリーズ)でデビュー、そこで新人王を獲得、という足跡もドンチッチと似通っている。故コビー・ブライアントとの友情も、NBAファンには知られるところだ。
ここからは2ndチーム。まずはNBAの昨季MVPであるニコラ・ヨキッチ。彼は欧州時代はユーロリーグにも参加していない母国セルビアのクラブ、メガ・バスケットでプレーしていた。
もっともこのチームは、欧州にその名を轟かせる辣腕エージェントが率いる“ドラフト候補生養成所”的なクラブであり、ヨキッチも19歳だった2014年に、NBAドラフトでデンバー・ナゲッツから41位で指名されてデビューした。
当時は欧州でも彼の名前はそれほど有名ではなく、「あんなオーバーサイズの選手で大丈夫か?」といった声もスカウトマンたちの間で囁かれたが、子ども時代から知る地元記者やコーチの間では、ずば抜けたビジョンを持っていたヨキッチの成功になんの疑いもなかった。
ルーキーイヤーは平均10.0点、7.0リバウンド、2.4アシストだったが、7年目の今季は27.1点、13.8リバウンド、7.9アシストとモンスター級の選手に成長。昨季はドラフトで最も低い順位で指名されたMVPとなった。
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