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NBA

ミラー&ジャクソンが演じた“最高に魅力的な悪役”。ファンの間で永遠に語り継がれる2人のドラマ【NBAデュオ列伝|後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.04.17

 続く1997-98シーズン、ラリー・バードが新HCに就任したペイサーズは、球団新記録の58勝をマーク。プレーオフは準決勝でニックスを倒し、カンファレンス決勝でシカゴ・ブルズと対戦。第4戦ではまたしてもミラーが、試合終了間際に奇跡的な3ポイントを決めた。

 ブルズをあと一歩のところまで追いつめたペイサーズだったが、わずかに及ばず。3度目となるカンファレンス決勝での敗退を喫した。

 ジョーダンの引退で優勝へのチャンスが膨らんだ1999年も、カンファレンス決勝で敗退。しかもその相手は宿敵ニックスとあって、悔しさもひとしおだった。

 だが、ようやく彼らの努力が報われる日がやってきた。1999-2000シーズン、3度目となるニックスとのカンファレンス決勝を戦ったペイサーズは4勝2敗で雪辱を果たし、初のファイナルへの切符を手にしたのである。

「レジーと俺は毎年のように『今度こそ、今度こそ』と、夜中でも電話をしてお互いを励ましあってきた。そして今、やっとファイナルを戦える日がやってきたんだ」とジャクソンは涙を浮かべて喜んだ。

 だがロサンゼルス・レイカーズと対戦した待望のファイナルは、苦い結果に終わった。第1戦、ミラーはフィールドゴール16本中わずかに1本しか決められない惨憺たる出来。代わってジャクソンがチーム最多の18得点をあげたが、17点差で大敗した。

 ミラーは第3戦以降の4試合で平均29.5点と挽回したが、最初の2試合に敗れたのが響き、2勝4敗で敗退。これがミラーとジャクソンの2人が、ともにプレーした最後の年となった。FA(フリーエージェント)となったジャクソンに、ベイサーズは再契約をオファーしなかったのだ。

■リーグ史に残る実績を残し、賞賛されて終えたキャリア

「チームはマークの価値がわかっていない。彼ほど統率力があって、勝利に対する姿勢を示すことができる選手はいないのに」

 ミラーは何とか引き留めようと手を尽くしたが叶わず、ジャクソンはトロント・ラプターズへ移籍。そしてそのシーズン途中、トレードでニックスに9年ぶりの復帰を果たす。かつて彼にブーイングを浴びせ続けたニューヨークの街は、“息子”の帰還を温かく迎えた。

 しかしこの頃には、もはやジャクソンの衰えは隠しようがなくなっていた。最後に脚光を浴びたのは、ユタ・ジャズでプレーしていた2003年3月6日に、マジックの通算アシスト数を抜いた時だった。
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