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NBA

「話にならないようなレベルだった」。世界中を魅了した“1992年ドリームチーム”を取材した記者が当時を回想<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2022.07.31

 現在は同紙の重鎮記者であり、記者組合の幹部も務めるルコント氏だが、当時はまだ正社員契約を手にする前の駆け出しで、取材経験はローカルな2、3試合のみ。そんな新米ながら、いきなりドリームチームの取材に抜擢された彼は、ある日、ホテルのエレベーターでマジックと偶然に乗り合わせるという幸運にあずかった。

 こんなチャンスはないとばかりに、たどたどしい英語を駆使して自己紹介し、「3分でいいので、インタビューさせてもらえませんか?」と勇気を振り絞って直談判。

 すると意外にもマジックは、「いいよ、でも5分だけ待ってて」と了承。いったん引き返したが、約束通り戻ってくると、プールサイドで独占取材に応じてくれた。

 そして7月21日に行われたフランス代表との試合は、111-71でドリームチームが圧勝。バークレーとジョーダンがゲームハイの21得点をマークした。

 この頃はまだ欧州の強豪ではなかったフランスは、五輪出場権は得ておらず、選手たちは休暇中だったが、相手がドリームチームだと分かると、みんな張り切って試合に参加した。

 当時はまだスマートフォンなどなかった時代。フランスの選手たちはベンチにマイカメラを持ち込み、試合終了後は大撮影会と化したという。
 
 ガードのフレデリック・フォルテは、現役引退後はフランスの強豪リモージュの名会長となったが(2017年に心臓発作により急逝)、後年ルコント記者が彼のオフィスを訪れた際、その試合の際に撮ったジョーダンとのツーショット写真が誇らしげに飾られていたそうだ。

 このフランス戦は、チームUSAにとっては、FIBAルールや、国際試合の審判に慣れるためのものでもあった。実際アメリカ側は、この試合にFIBAの審判を用意することを事前に要求していた。

 序盤はフランスがリードする局面もあったが(アメリカは直前までカジノで遊んでいた選手もいて、エンジンがかかるのが遅かったのが主な理由らしい)、ドリームチームはすぐに欧州のプレースタイルにも順応し、ルールや審判の采配に関してもコツを掴むと、大差で勝利をもぎとった。

 初めてNBAのスター選手を生取材したルコント記者が最も衝撃を受けたのは、彼らの「フィジカル能力」だったという。

「テクニックが素晴らしい、というのももちろんあるが、それより何より、フィジカルの強さ。フランスにも、ガタイのいい“フィジカル自慢”と呼ばれる選手はいたが、彼らなどまったく話にならないようなレベルだった」
 
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