メルボルン五輪に参加後、金メダルを手土産にチームに加わったラッセルは、早速リーグ1位の平均19.6リバウンドを記録した。シュート力は低く、得点の多くはティップインによるもの。センターを攻撃の中心に据えていたチームが多かった時代には珍しい選手だった。
それでもアワーバックに「査定に得点は含めないから、攻撃のことは考えなくていい」と約束されたことで、ディフェンスとリバウンドに集中。とりわけブロックショットはNBAに革命をもたらした。彼のブロックは闇雲にボールを弾き飛ばすのではなく、一種のパスのように、味方にボールが渡るように計算されていた。ディフェンシブなプレーであると同時に、ファストブレイクの起点ともなったのだ。
カリーム・アブドゥル・ジャバー(元レイカーズほか)は「今の若い選手は、(ブロックの際に)観客席までボールを飛ばして悦に入っているが、勘違いも甚だしい。最高の選手からブロックショットの真髄を学べた私は幸運だった」と語っている。
ラッセルが後ろに控えている安心感で、ガード陣のディフェンスもよりアグレッシブになり、逆に相手はブロックを恐れてまともにシュートを打てなくなった。こうして平均失点を前年より5.1点も減らしたセルティックスは、初出場のファイナルでもホークスを下し優勝。ラッセルとセルティックスは「ディフェンスこそ勝利のカギ」との新たな常識をNBAにもたらした。
■怒涛の8連覇の始まりと伝説となったライバル対決
2年目の1958年にはリバウンドを平均22.7本まで伸ばし、MVPを受賞。ファイナルで足首を負傷し、第3戦以降を欠場したためホークスに敗れたが、続く1959年のファイナルではミネアポリス(現ロサンゼルス)・レイカーズに4連勝。怒涛の8連覇はこの年から始まった。 クージーやビル・シャーマンら第一世代の主力選手が去った後も、大学時代からのチームメイトであるKC・ジョーンズや、ジョン・ハブリチェックらが台頭してラッセルとともに王朝を支えた。
1960年代のNBAで最大の呼び物だった、ウィルト・チェンバレンとのライバル対決も忘れてはならない。 プロ入り前からの友人同士で、サイズ、スピード、パワーのすべてで他を圧倒したチェンバレンは、ラッセルですら完全には抑えきれない史上最高の得点マシンだった。
それでもアワーバックに「査定に得点は含めないから、攻撃のことは考えなくていい」と約束されたことで、ディフェンスとリバウンドに集中。とりわけブロックショットはNBAに革命をもたらした。彼のブロックは闇雲にボールを弾き飛ばすのではなく、一種のパスのように、味方にボールが渡るように計算されていた。ディフェンシブなプレーであると同時に、ファストブレイクの起点ともなったのだ。
カリーム・アブドゥル・ジャバー(元レイカーズほか)は「今の若い選手は、(ブロックの際に)観客席までボールを飛ばして悦に入っているが、勘違いも甚だしい。最高の選手からブロックショットの真髄を学べた私は幸運だった」と語っている。
ラッセルが後ろに控えている安心感で、ガード陣のディフェンスもよりアグレッシブになり、逆に相手はブロックを恐れてまともにシュートを打てなくなった。こうして平均失点を前年より5.1点も減らしたセルティックスは、初出場のファイナルでもホークスを下し優勝。ラッセルとセルティックスは「ディフェンスこそ勝利のカギ」との新たな常識をNBAにもたらした。
■怒涛の8連覇の始まりと伝説となったライバル対決
2年目の1958年にはリバウンドを平均22.7本まで伸ばし、MVPを受賞。ファイナルで足首を負傷し、第3戦以降を欠場したためホークスに敗れたが、続く1959年のファイナルではミネアポリス(現ロサンゼルス)・レイカーズに4連勝。怒涛の8連覇はこの年から始まった。 クージーやビル・シャーマンら第一世代の主力選手が去った後も、大学時代からのチームメイトであるKC・ジョーンズや、ジョン・ハブリチェックらが台頭してラッセルとともに王朝を支えた。
1960年代のNBAで最大の呼び物だった、ウィルト・チェンバレンとのライバル対決も忘れてはならない。 プロ入り前からの友人同士で、サイズ、スピード、パワーのすべてで他を圧倒したチェンバレンは、ラッセルですら完全には抑えきれない史上最高の得点マシンだった。
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