コート外では親友だったとはいえ、2010年夏のFA(フリーエージェント)戦線でレブロンがマイアミへ移籍し、史上空前のビッグ3を形成したことには誰もが衝撃を受けた。だが、それはウェイドも同じだったという。
「2010年のフリーエージェンシーまで、僕のなかには(レブロンとの共演は)まったくなかった。そのプロセスを歩んでいく過程でも、頭になかったね。一緒にプレーするなんて全然考えてなかったんだ。大勢の人たちは(共闘することを)考えついたんだと思っている。僕らがスマートだったらなぁと思うよ。でも実際はスマートではなかったのさ」
ウェイドはヒートでレブロンとプレーし、数多くのハイライトプレーも生み出してきたのだが、「楽しくはなかったね。メンタルとフィジカルの両面で辛かったし、その期間のほとんどは任務だと感じていた」と後に明かしており、日々プレッシャーとも戦ってきたという。
ヒートのビッグ3形成の背景には、パット・ライリー球団社長の野望があった。2014年夏にレブロンが古巣キャブズへ帰還することを電話で知った際、「私は彼のことを責めたりはしなかった。だが、私は10年間に渡って王朝を築けるチームだとわかっていたから、(電話があった)あの日は私とこの組織にとっては悲しい日になった」と『ESPN』へ胸中を吐露。さらにこうも口にしていた。
「私は、マイアミの地で王朝を築きたかった。この街とチームを10年間に渡り、タイトルコンテンダーに押し上げたかったんだ。8度はNBAファイナルまで勝ち進むことができたかもしれない」
もしレブロンがヒートへ加入することなく、ウェイドが単独エースを務めていれば、今以上のスタッツを残すことは十分可能だっただろう。だが、レブロン抜きに4度のファイナル進出、2度の優勝を成し遂げることができた可能性は低いと言わざるをえない。
今となっては“タラ・レバ”の話ではあるものの、ウェイド、レブロン、ボッシュがいずれも20代でチームメイトとなり、ヒートで4シーズンも戦えたことは、貴重な経験となったのではないだろうか。
文●秋山裕之(フリーライター)
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「2010年のフリーエージェンシーまで、僕のなかには(レブロンとの共演は)まったくなかった。そのプロセスを歩んでいく過程でも、頭になかったね。一緒にプレーするなんて全然考えてなかったんだ。大勢の人たちは(共闘することを)考えついたんだと思っている。僕らがスマートだったらなぁと思うよ。でも実際はスマートではなかったのさ」
ウェイドはヒートでレブロンとプレーし、数多くのハイライトプレーも生み出してきたのだが、「楽しくはなかったね。メンタルとフィジカルの両面で辛かったし、その期間のほとんどは任務だと感じていた」と後に明かしており、日々プレッシャーとも戦ってきたという。
ヒートのビッグ3形成の背景には、パット・ライリー球団社長の野望があった。2014年夏にレブロンが古巣キャブズへ帰還することを電話で知った際、「私は彼のことを責めたりはしなかった。だが、私は10年間に渡って王朝を築けるチームだとわかっていたから、(電話があった)あの日は私とこの組織にとっては悲しい日になった」と『ESPN』へ胸中を吐露。さらにこうも口にしていた。
「私は、マイアミの地で王朝を築きたかった。この街とチームを10年間に渡り、タイトルコンテンダーに押し上げたかったんだ。8度はNBAファイナルまで勝ち進むことができたかもしれない」
もしレブロンがヒートへ加入することなく、ウェイドが単独エースを務めていれば、今以上のスタッツを残すことは十分可能だっただろう。だが、レブロン抜きに4度のファイナル進出、2度の優勝を成し遂げることができた可能性は低いと言わざるをえない。
今となっては“タラ・レバ”の話ではあるものの、ウェイド、レブロン、ボッシュがいずれも20代でチームメイトとなり、ヒートで4シーズンも戦えたことは、貴重な経験となったのではないだろうか。
文●秋山裕之(フリーライター)
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