だが現地時間9月1日(日本時間2日、日付は以下同)にYouTubeへ公開されたポッドキャスト番組『The Big Podcast』で、シャックはモーニングとの仲についてこう話していた。
「俺とアロンゾ・モーニングは対立していた。だが、彼がマイアミ・ヒートへやってきたとき、俺は彼に謝罪しなきゃならなかった。『俺は偽善者だった。君が最高の男だなんて全然知らなかったんだ』と言ったんだ。
彼がロッカールームへ入ると、俺は『おいみんな、この男は本当にすごいヤツなんだ。俺たちは数年前にこうするべきだったのかもな』と言ったのさ」
2004年夏、レイカーズからトレードでヒートへ加入したシャックは、ドゥエイン・ウェイドの用心棒となってヒートをイースタン・カンファレンス上位チームへと引き上げる。
モーニングはというと、2003年夏にニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツへ移籍したのち、2005年3月にヒートへ復帰。シャックのバックアップ役に回る。ヒートは2005年のプレーオフこそカンファレンス・ファイナル第7戦の末にデトロイト・ピストンズに敗れたものの、翌2006年にイーストを勝ち上がり、球団史上初のファイナル進出を果たした。
キャリア10年以上を誇るベテランとなった両選手は、ダラス・マーベリックスとの頂上決戦でエース級の活躍こそできなかったものの、シャックはシリーズ平均13.7点、10.2リバウンド、2.8アシスト、モーニングは同4.3点、3.2リバウンド、1.5ブロックを記録。特に3勝2敗で迎えた第6戦はシャックが9得点、12リバウンド、さらにモーニングは8得点、6リバウンド、5ブロックと鬼気迫る形相でブロックショットを連発し、ヒートの初優勝に貢献した。
1992年のドラフト組には、同期のなかでシャック(平均23.7点)に次ぐキャリア平均18.3点をマークしたラトレル・スプリーウェル(元ニックスほか)や、計7度のチャンピオンに輝いたロバート・オリー(元ロケッツほか)といった選手たちがいる。
だが実績と功績の両面で見て、シャックとモーニングがトップ2なのは間違いなく、この2人だけがバスケットボール殿堂入りを飾っている。そしてシャックの32番、モーニングの33番はヒートの初優勝に貢献した名選手として、いずれも永久欠番になった。
現役時代の初期に犬猿の仲とも言われてきたシャックとモーニングは、ヒートで和解して共闘していったのだが、両選手の間にはもともと“自分にはない強み”があることを理解し、リスペクトの感情があったのかもしれない。
文●秋山裕之(フリーライター)
【PHOTO】オラジュワン、ジョーダン、バークレー、ペニー……NBAの歴史を彩った偉大なレジェンド特集!
「俺とアロンゾ・モーニングは対立していた。だが、彼がマイアミ・ヒートへやってきたとき、俺は彼に謝罪しなきゃならなかった。『俺は偽善者だった。君が最高の男だなんて全然知らなかったんだ』と言ったんだ。
彼がロッカールームへ入ると、俺は『おいみんな、この男は本当にすごいヤツなんだ。俺たちは数年前にこうするべきだったのかもな』と言ったのさ」
2004年夏、レイカーズからトレードでヒートへ加入したシャックは、ドゥエイン・ウェイドの用心棒となってヒートをイースタン・カンファレンス上位チームへと引き上げる。
モーニングはというと、2003年夏にニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツへ移籍したのち、2005年3月にヒートへ復帰。シャックのバックアップ役に回る。ヒートは2005年のプレーオフこそカンファレンス・ファイナル第7戦の末にデトロイト・ピストンズに敗れたものの、翌2006年にイーストを勝ち上がり、球団史上初のファイナル進出を果たした。
キャリア10年以上を誇るベテランとなった両選手は、ダラス・マーベリックスとの頂上決戦でエース級の活躍こそできなかったものの、シャックはシリーズ平均13.7点、10.2リバウンド、2.8アシスト、モーニングは同4.3点、3.2リバウンド、1.5ブロックを記録。特に3勝2敗で迎えた第6戦はシャックが9得点、12リバウンド、さらにモーニングは8得点、6リバウンド、5ブロックと鬼気迫る形相でブロックショットを連発し、ヒートの初優勝に貢献した。
1992年のドラフト組には、同期のなかでシャック(平均23.7点)に次ぐキャリア平均18.3点をマークしたラトレル・スプリーウェル(元ニックスほか)や、計7度のチャンピオンに輝いたロバート・オリー(元ロケッツほか)といった選手たちがいる。
だが実績と功績の両面で見て、シャックとモーニングがトップ2なのは間違いなく、この2人だけがバスケットボール殿堂入りを飾っている。そしてシャックの32番、モーニングの33番はヒートの初優勝に貢献した名選手として、いずれも永久欠番になった。
現役時代の初期に犬猿の仲とも言われてきたシャックとモーニングは、ヒートで和解して共闘していったのだが、両選手の間にはもともと“自分にはない強み”があることを理解し、リスペクトの感情があったのかもしれない。
文●秋山裕之(フリーライター)
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