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NBA

シャック、モーニング、そしてレイトナー。明暗分かれた1992年組に神様が与えた粋な巡り合わせ【NBAドラフト史】

大井成義

2019.11.25

シャックは1年目からセンセーショナルな活躍を披露し、リーグを制圧。2011年に引退するまで4度の優勝を経験した(C)Getty Images

シャックは1年目からセンセーショナルな活躍を披露し、リーグを制圧。2011年に引退するまで4度の優勝を経験した(C)Getty Images

 1992年に行なわれたバルセロナ五輪で、アメリカ代表はドリームチームを結成し、バスケット人気を一気に押し上げた。そんな華やかなチームの誕生と時を同じくして、同年のドラフトでは規格外の逸材が入団している。その男の名は、歴代有数のビッグマン、シャキール・オニールだ。

■ドリームチーム誕生の裏でシャックがドラフトで入団

 70年にもおよぶNBAの歴史において、最も重要かつエポックメーキングな出来事のひとつに、初代ドリームチームの誕生がある。1992年のバルセロナ五輪に向けて結成された豪華絢爛なドリームチームは、全米はおろか世界各地で一大ブームを巻き起こし、人々に強烈なインパクトを与えた。これをきっかけに、NBAは瞬く間に世界進出を果たすことになる。

 1992年6月24日、結成されたばかりのドリームチームは、カリフォルニア州サンディエゴで初めての練習試合を行なった。奇しくも同日、NBAにとってエポックメーキングとなるもうひとつのイベントが、隣州オレゴン州ポートランドで開催されている。NBAドラフトだ。

 その1か月半前、ドリームチームに加わる唯一のアマチュア選手が発表された。候補に挙がっていたのは、ルイジアナ州大3年のシャキール・オニール(以下シャック)とデューク大4年のクリスチャン・レイトナーを含む5人のカレッジ選手。
 
 シャックはずば抜けた成績を残し、特にブロックとリバウンドは驚異的だった。数々の個人賞を受賞したが、NCAAトーナメントは毎年2回戦止まり。それでも、そのサイズとパワーはまさに規格外であり、無限の可能性を秘めた逸材だと考えられていた。

 一方のレイトナーは、NCAAトーナメントにおける総得点(407)は史上最多を誇り、大学4年間すべての年においてファイナル4以上に勝ち上がった唯一の選手。とりわけ3、4年時には連覇を成し遂げ、さらにドラフトの3か月前に行なわれたNCAAトーナメント地区決勝でも超劇的なブザービーターを決めて、全米の話題をさらっていた。また、在学中に獲得した個人賞の数でシャックを大きく上回っている。

 最終的に、選考委員会が選んだのはレイトナーだった。このセレクションに対し、チームにもたらすインパクトや潜在能力を考えれば、シャックを選ぶべきだったという議論が巻き起こる。なかには、リーグがイメージ戦略のため、単に白人の比率を上げたかったのではないかという憶測まで流れた(白人選手はラリー・バード、ジョン・ストックトン、クリス・マリンの3人しかいなかった)。だがその時点で、レイトナーのほうがよりバランスに優れ、完成された選手であったことも事実だった。
 

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