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【NBAデュオ列伝|後編】軽率な言動への不信感、引退後に分かれた明と暗……“バッドボーイズの両頭”トーマスとデュマースの間になぜ隔たりが生じたのか<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.10.12

 前述したプレーオフでのブルズに対する振る舞いもそうだったし、遡ればラリー・バード(元ボストン・セルティックス)について「あいつが持て囃されるのは白人だからだ」と発言し、謝罪を迫られたこともあった。引退後はピストンズの経営陣に加わることが内定していたのに、オーナーのビル・デビッドソンとの仲違いでチームを離れることになったのも、トーマスの口の軽さがオーナーの逆鱗に触れたからだとの説が囁かれている。

 1994年、デュマースとともに世界選手権のメンバー(ドリームチームⅡ)に選ばれたのを置き土産に、トーマスは現役を引退。1995年に誕生した新球団トロント・ラプターズの球団社長に就任した。

 当初はそれなりに成果を出していたが、ラプターズの経営権を掌握しようとして失敗し、チームを追われる。マイナーリーグのCBAを買収したがこれも上手くいかず、引退後は順風満帆というわけにはいかなかった。

 一方、デュマースはトーマスなきピストンズのリーダーとしてプレーを続ける。1994年、新たなスター候補生としてグラント・ヒルが入団すると、彼の指導教官役を任された。1999年に引退した後は、デビッドソンの要請でピストンズのGMを引き受けた。かつてトーマスが就くはずだった役職である。
 
 しかし、早速難関が立ちはだかった。FA(フリーエージェント)資格を得たヒルが、オーランド・マジックへの移籍を希望したのだ。デュマースはヒルの希望を受け容れ、サイン&トレードに踏み切らざるを得なかった。

 愛弟子の裏切りは、しかしピストンズ再生の第一歩となった。マジックから獲得したベン・ウォーレスが、リーグ有数のディフェンダーとしてたちまち頭角を現わしたのだ。一方のヒルは度重なる故障に見舞われ、 ピストンズ時代のようなプレーができなくなり、脇役的な存在に甘んじた。

 デュマースの補強策は次々に成果をあげた。ジェリー・スタックハウスをトレードして、ワシントン・ウィザーズからリチャード・ハミルトンを獲得。FAではチャンシー・ビラップスと契約。ドラフトではテイショーン・プリンスやメメット・オカーを指名。いずれも当初はインパクトのある補強ではなかったが、全員が予想以上の好成績を残し、2002、03年と2シーズン連続で地区優勝を果たしたのである。
 
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