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【NBAデュオ列伝|後編】軽率な言動への不信感、引退後に分かれた明と暗……“バッドボーイズの両頭”トーマスとデュマースの間になぜ隔たりが生じたのか<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.10.12

 2003-04シーズンには、前々年に最優秀ヘッドコーチ賞に選ばれていたリック・カーライルを更迭し、フィラデルフィア・セブンティシクサーズからラリー・ブラウンを招聘した。一部では非難の声も巻き起こったが、カンファレンス決勝でそのカーライル率いるインディアナ・ペイサーズを下し、デュマースの判断が正しかったことがまたしても証明された。

 圧倒的な不利を予想されていたファイナルでも、ピストンズはレイカーズを下して14年ぶりの優勝を果たす。デュマースの手腕は、触れるものすべてを黄金に変えるミダス王さながらであった。2014年を最後にピストンズを退団し、現在はNBAのバスケットボール部門副社長の職にある。

 デュマースに対する賞賛の声が大きくなるのに反比例して、トーマスの名声は下向きになる一方だった。2000年にペイサーズのヘッドコーチに就任したが、プレーオフでは3年連続で1回戦敗退。2003年にバードがフロント入りすると、すぐに更迭の憂き目を見た。

 その後すぐにニックスにGMとして招かれ、失地回復を図ったトーマスだったが、評判は散々。2006年から2シーズンは自ら指揮を執ったが結果を出せず、これがNBAでの最後の仕事になった。以後は大学のコーチ、WNBAのフロントなどで働いたが、どれもはかばかしい成果をあげることはなかった。
 
「Nice guys finish last. (お人よしでは勝負には勝てない)」

 これは、MLBの名将レオ・ドローチャーが残した有名な言葉である。デュマースはそれが真実ではないことを証明した。彼が再生させたピストンズはバッドボーイズのイメージとはほど遠いが、バッドボーイズと同じくらい強く、魅力のあるチームとなった。

 そのことを誰よりも痛感しているのがトーマスだろう。今年2月、読者参加型のウェブサイトが実施した“NBA史上最悪のGM”投票で、彼は不名誉な1位に――仇敵のジョーダンを抑えて――選ばれてしまった。かつての弟分、デュマースとの大きな隔たりが一体どこで生じたのか。その答えはトーマス自身を含め、誰にもわからない。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2004年10月号掲載原稿に加筆・修正。

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