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NBA

マジック・ジョンソン——笑顔の“魔法使い”が掴んだ早すぎる成功と苦悩の日々【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2023.01.01

 もうひとつの素晴らしい才能は、彼の性格だった。明るく朗らかで、常に魅力的な微笑みを浮かべるマジックを、誰もが好きにならずにいられなかった。のちにレイカーズで親友となったマイケル・クーパーは「マジックにはムードというか、雰囲気のようなものがある。みんなが生き生きして、その場の空気まで歌い出す」と形容した。

 ミシガン州大の2年生だった1979年は、NCAAトーナメント決勝戦でシーズン無敗を誇っていたインディアナ州大を破り、頂点に立った。この時、相手チームのエースだったバードとは、その後もずっと好敵手としての関係が続いていく。
 
■数々の試練を乗り越え、栄光に彩られたバスケ人生

 大きな期待を背負ってレイカーズに入団したマジックは、すぐにそれに応えた。ポイントガードにはノーム・ニクソンがいたため、当初は他のポジションでプレーしたが、ほどなくプレーメーキングの大役を任される。1年目から平均18.0点、7.3アシストに加えて、7.7本のリバウンドも奪うオールラウンダーぶりを発揮。新人王はバードが受賞したが、それ以上に大きな栄誉が待っていた。

 レイカーズはこの年、6度目のシーズンMVPに輝いたジャバーの活躍でファイナルに進出。ところが、第5戦でジヤバーが足首を捻挫してしまい、第6戦の出場は絶望視されていた。

 この危機を救ったのがマジックだった。 ジャバーに代わってセンターとして出場すると、42得点、15リバウンド、7アシストの驚異的な活躍でレイカーズを優勝に導き、新人では初のファイナルMVPを受賞したのだ。

「この時の試合は千回以上も見返した」と言うほど、会心の一戦だった。

 これ以上ないプロ生活のスタートを切ったものの、その後は思うようにはいかないシーズンが続いた。2年目は左ヒザの故障で37試合の出場にとどまり、マジックの早すぎる成功を妬むチームメイトとの確執も生じた。

 続く1981-82シーズンには、ヘッドコーチのポール・ウエストヘッドと衝突。ハーフコート中心のオフェンス導入を巡って口論となり「ここではもうプレーできない。どこかにトレードして欲しい」と口走る。その直後にウエストヘッドが解任されたため、マジックはコーチ・キラーの汚名を背負わされ、どこへ行ってもブーイングに晒された。
 
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