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NBA

ジョーダンとオラジュワンに行く手を阻まれた、偉大なる無冠の帝王ユーイング【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2023.03.16

無冠に終わったとはいえニックス史上最高の選手

 15年にわたってプレーを続けてきた代償として、この頃には彼の身体はボロボロになり、満足のいくプレーができなくなっていた。しかもニックスは彼を欠いた状態でもアラン・ヒューストン、ラトレル・スプリーウェル、ラリー・ジョンソンらが奮闘しファイナルまで進んだことで、ユーイング不要論が日増しに強くなっていった。 

 2000年にシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)へのトレードが決まった時には、ユーイング自身「もはやここを去る時だ。いつも批判ばかりされるのはもううんざりだ」と移籍を歓迎さえした。ソニックス、次いでマジックでの冴えない2年間を過ごした後、切望していたチャンピオンリングを手にできぬまま、ユーイングはユニフォームを脱いだ。
 
 それから6年が過ぎた2008年4月7日。ユーイングはオラジュワン、ライリーと共にバスケットボール殿堂入りを果たした。出場試合数、得点、リバウンドなど、彼の持つニックスの球団記録は14部門にも及ぶ(意外なところでは、1061スティールもその一つ)。NBAの選手会の会長として長く活動したことも記しておくべきだろう。

 確かに彼は、ジョーダンやオラジュワンのように、チームを王座には導けなかった。だがニックス時代にコーチとして苦楽をともにしたジェフ・ヴァン・ガンディは「パトリックほど勤勉でゲームに忠実な選手はいなかった。リングは持っていなくとも、練習ぶりやプレーはチャンピオンそのものだった」と語る。それが真実であることを、ユーイングを失って以来迷走が続いたニックスのファンは、身に染みて理解しているはずだ。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2008年9月号原稿に加筆・修正
 
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