専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

【NBAスター悲話】ショーン・ケンプ――ジョーダン級の才能を生かしきれなかった悲しき跳人【前編】

大井成義

2020.01.23

■地元エルカートの話題を独占した驚異の高校生

 1969年11月26日、アメリカで最もバスケットボールの盛んな州のひとつ、インディアナ州エルカートにショーン・トラビス・ケンプは生まれた。シングルマザーの母は2つの仕事をこなして家計を支え、生まれつきヒザと踵に障害のあった少年は、小学校高学年まで足の矯正具を手放せなかった。足の病気が治ると同時に身長はみるみる伸び始め、初めてダンクを成功させたのは12歳の時だった。

 コンコード高校に入学する頃には、地元で彼の名を知らぬ者はいなかった。1年時からスターターとして活躍し、高校の体育館、マッキュエンジムは彼のプレーを一目見ようとするファンで毎試合埋め尽くされた。体育館の外には、500人もの少年少女がサインを貰おうと待ち構えていた日もあったという。学校側は急遽体育館の観客席を800席増設し、マッキュエンジムは“The house that Shawn built(「ショーンが建てた家」。ベーブ・ルースとヤンキー・スタジアムの関係をもじっている)”と呼ばれた。

 ケンプの怪物ぶりはまたたく間に全国へと知れ渡り、マッキュエンジムには有名大学はおろかNBAのスカウトまでもが姿を見せるようになった。最終学年、ケンプはチームをインディアナ州の高校選手権優勝に導き、卒業を間近に控えた春には全米トップクラスの高校生が集うマクドナルド・オールアメリカンに招待され注目を浴びた。その時一緒に参加した選手には、アロンゾ・モーニング、クリスチャン・レイトナー、クリス・ジャクソン、クリス・ミルズらがいる。
 
 1988年、有名大学の熾烈なリクルート合戦が繰り広げられるなか、ケンプが選んだ大学は古豪ケンタッキー大だった。ところが、同大学でプレーすることへの基本合意書にサインしたものの、SAT(大学進学適性試験)の点数が全然足りなく、NCAAの規定により1年間プレーができなくなってしまう。彼の学力は、高校の卒業証書を満足に読めず、自分の名前のスペルすら間違えるほどだった。

 1988年11月、ケンプはケンタッキー大でわずか数か月過ごした後、突然学校を去っていった。その表向きの理由は、リクルートに際しての違反(実際はミルズに対してはあったが、ケンプにはなかった)とされているが、事実は次のようなものだったらしい。

 入学早々、チームメイトのロッカーから金のネックレス2本が盗まれるという事件が発生した。そのチームメイトはコーチの息子だった。警察による捜査の結果、ケンプがそのネックレスを質に入れようとしていたことが判明。ケンプは犯行を否認したが、犯人が誰なのかは火を見るよりも明らかだった。被害に遭ったチームメイトはケンプを告発しなかったが、その事件により彼はケンタッキー大を追われた。
 

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号