NBAファイナルの舞台に立つことはできなかったが、キャリア通算8チームに在籍したカーターは、ネッツ時代に最も高い平均得点を残したことからも、この地で充実した日々を送ったことは間違いないだろう。
なお、この日のセレモニーには“ドクターJ”ことジュリアス・アービング(元フィラデルフィア・76ers)も来場。球団がABA(1967~76年に存在したNBAのライバルリーグ)に所属していた時代のニューヨーク・ネッツで3度のMVPに輝き、2度のチャンピオンへ導いたレジェンドだ。
アービングは1976年のABAスラムダンク・コンテスト王者で、カーターは2000年のNBAスラムダンク・コンテスト覇者。ネッツの新旧スーパースターによる共演は、カーターが幼少期にアイドルとして憧れたアービングを勧誘したことで実現した。
「彼に『ねぇドック、僕はあなたと一緒にセレモニーを迎えたい』と伝言を残したんだ。そしたら彼から『いいじゃないか。そうしよう』と電話をもらってね。それがものすごく嬉しかった」とカーターは感謝の意を表わした。
ネッツの永久欠番は7人目。カーターは、相棒のキッド(5番)、アイドルのアービング(32番)のほか、ドラゼン・ペトロビッチ(3番)、ジョン・ウィリアムソン(23番)、ビル・メルキオーニ(25番)、バック・ウィリアムズ(52番)に次ぐ栄誉を授かった。
満面の笑みを見せてセレモニーを満喫したカーターのバスケットボールキャリアに、また新たな勲章が加わった。
文●秋山裕之(フリーライター)
なお、この日のセレモニーには“ドクターJ”ことジュリアス・アービング(元フィラデルフィア・76ers)も来場。球団がABA(1967~76年に存在したNBAのライバルリーグ)に所属していた時代のニューヨーク・ネッツで3度のMVPに輝き、2度のチャンピオンへ導いたレジェンドだ。
アービングは1976年のABAスラムダンク・コンテスト王者で、カーターは2000年のNBAスラムダンク・コンテスト覇者。ネッツの新旧スーパースターによる共演は、カーターが幼少期にアイドルとして憧れたアービングを勧誘したことで実現した。
「彼に『ねぇドック、僕はあなたと一緒にセレモニーを迎えたい』と伝言を残したんだ。そしたら彼から『いいじゃないか。そうしよう』と電話をもらってね。それがものすごく嬉しかった」とカーターは感謝の意を表わした。
ネッツの永久欠番は7人目。カーターは、相棒のキッド(5番)、アイドルのアービング(32番)のほか、ドラゼン・ペトロビッチ(3番)、ジョン・ウィリアムソン(23番)、ビル・メルキオーニ(25番)、バック・ウィリアムズ(52番)に次ぐ栄誉を授かった。
満面の笑みを見せてセレモニーを満喫したカーターのバスケットボールキャリアに、また新たな勲章が加わった。
文●秋山裕之(フリーライター)




