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NBA

【NBAスター悲話】レジー・ルイス――キャリア絶頂期に突如訪れた死。そして浮上したドラッグ使用疑惑【後編】

大井成義

2020.03.07

 ルイスの死から6日が経った1993年8月2日、ボストンで追悼式が執り行なわれた。平日であるにもかかわらず、黒人以外に多くの白人も、物静かで優しい語り口をした黒人選手のために三々五々集まってきた。それは、保守的な白人の街ボストンでは珍しい光景だった。

 1万5千人もの市民が式に参加。式場となったノースイースタン大からフォレストヒルズ墓地までの7kmの沿道には、さらに数千もの人々がルイスの最後を見送ろうと、真夏の暑さと照りつける日差しのなか、立ちつくしていた。

 ルイスはチームメイトに、セルティックスファンに、そしてボストン市民にこよなく愛されていた。共同記者会見では、チームメイトのリック・フォックスとディー・ブラウンが、嗚咽を漏らしながら訥々とルイスの思い出を語った。ヘッドコーチのクリス・フォードが、ルイスのためにデザインされたプレーのコードネーム、“2-UP”と“Hawk-2”を口にすると、アシスタントコーチのジョン・ジェニングスはその場に泣き崩れた。
 
 ルイスは、自身が貧しい環境で育ったこともあり、地元コミュニティへの貢献に並々ならぬ情熱を注いでいた。毎年サンクスギビングデイには、1200羽の七面鳥を貧しい人々に配った。そのイベントは、死後設立された慈善団体「レジー・ルイス・ファウンデーション」の、年間行事の一環として続けられている。また、低所得者の居住区にスポーツ施設を造ろうと、ルイスは先頭に立ってその運動に取り組んでいた。ボストン市民にとって、彼は紛れもなくヒーローだった。

■死後に噴出したコカイン使用疑惑

 ルイスが死去してから1年半が経過したある日、ショッキングな記事が『ウォールストリート・ジャーナル』紙(以下ジャーナル)の1面を飾る。それは、ルイスの死因はコカイン使用による心筋症だった可能性が高い、というものだった。

 ジャーナルの記者が、ルイスの死と、そこに至る不可解な経緯を徹底調査した結果、死因はドラッグ以外考えられないという結論に至る。同時に、セルティックスと妻のドナが、ルイスのコカイン使用を隠蔽していたのでは、という疑惑を告発したのだった。
 
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