【パワーフォワード】
クリス・ウェバー
1973年3月1日生。206cm・111kg
在籍期間:7シーズン(1999~2005)
成績:377試合、平均23.5点、10.6リバウンド、4.8アシスト
誰もが認める素質に恵まれながら、勝負弱いとの評価を拭いきれなかった選手。93年のドラフト1位でオーランド・マジックから指名後すぐにウォリアーズへトレードされ、98年に流れ着いたサクラメントが早くも4球団目。当初は弱小チームへの移籍に不満だったが、ここで才能が花開く。
初年度に平均13.0リバウンドでリーグ1位になると、翌年から4年連続でオールスター選出、01年にはオールNBA1stチーム入りとリーグ最高峰のPFに上り詰めた。ビッグマンだがパワーよりも身体能力と器用さが売りで、特にパスセンスが光り、ノールックやビハインド・ザ・バックなども易々とこなした。2000年代初頭にキングスが優勝争いを演じた時期にはエースとしてチームを引っ張り、在籍7年間の成績は平均23.5点、10.6リバウンド、4.8アシスト。もっとも故障も少なくなく、ディフェンス面での評価も今一つで、真のスーパースターと呼ぶには物足りなさも覚えた。生来の頭の良さは引退後に解説者として発揮されている。
【センター】
ジェリー・ルーカス
1940年3月30日生。203cm・104kg
在籍期間:7シーズン(1963~69)
成績:465試合、平均19.6点、19.1リバウンド、3.0アシスト
身長203cmはウェバーより低く、本職もロイヤルズ時代はPF。それでもニューヨーク・ニックス移籍後は大学でのポジションだったセンターに回ったので、センターでのプレーを好まなかったウェバーより適任だろう。何しろロイヤルズ時代の平均リバウンドは、19.1本と怪物級の数字。キャリアを通じても15.6本でリーグ史上4位という屈指のリバウンダーだった。
攻撃でも“ルーカス・レイアップ”の異名をとった右手で押し出すような独特のシュートを得意とし、65、66年は2年連続で平均20点&20リバウンド。これを達成しているのは、他にはウィルト・チェンバレンしかいない。ロバートソンとは60年のローマ五輪で金メダルを手にした仲だったが、プロで優勝を味わったのはともにロイヤルズ退団後だった。「ドクター・メモリー」、「コンピューター」などのニックネームは記憶術の達人だったからで、「どの選手がどんなシュートを打つか、私はすべて知っていた」との発言は誇張ではなかった。
文●出野哲也
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クリス・ウェバー
1973年3月1日生。206cm・111kg
在籍期間:7シーズン(1999~2005)
成績:377試合、平均23.5点、10.6リバウンド、4.8アシスト
誰もが認める素質に恵まれながら、勝負弱いとの評価を拭いきれなかった選手。93年のドラフト1位でオーランド・マジックから指名後すぐにウォリアーズへトレードされ、98年に流れ着いたサクラメントが早くも4球団目。当初は弱小チームへの移籍に不満だったが、ここで才能が花開く。
初年度に平均13.0リバウンドでリーグ1位になると、翌年から4年連続でオールスター選出、01年にはオールNBA1stチーム入りとリーグ最高峰のPFに上り詰めた。ビッグマンだがパワーよりも身体能力と器用さが売りで、特にパスセンスが光り、ノールックやビハインド・ザ・バックなども易々とこなした。2000年代初頭にキングスが優勝争いを演じた時期にはエースとしてチームを引っ張り、在籍7年間の成績は平均23.5点、10.6リバウンド、4.8アシスト。もっとも故障も少なくなく、ディフェンス面での評価も今一つで、真のスーパースターと呼ぶには物足りなさも覚えた。生来の頭の良さは引退後に解説者として発揮されている。
【センター】
ジェリー・ルーカス
1940年3月30日生。203cm・104kg
在籍期間:7シーズン(1963~69)
成績:465試合、平均19.6点、19.1リバウンド、3.0アシスト
身長203cmはウェバーより低く、本職もロイヤルズ時代はPF。それでもニューヨーク・ニックス移籍後は大学でのポジションだったセンターに回ったので、センターでのプレーを好まなかったウェバーより適任だろう。何しろロイヤルズ時代の平均リバウンドは、19.1本と怪物級の数字。キャリアを通じても15.6本でリーグ史上4位という屈指のリバウンダーだった。
攻撃でも“ルーカス・レイアップ”の異名をとった右手で押し出すような独特のシュートを得意とし、65、66年は2年連続で平均20点&20リバウンド。これを達成しているのは、他にはウィルト・チェンバレンしかいない。ロバートソンとは60年のローマ五輪で金メダルを手にした仲だったが、プロで優勝を味わったのはともにロイヤルズ退団後だった。「ドクター・メモリー」、「コンピューター」などのニックネームは記憶術の達人だったからで、「どの選手がどんなシュートを打つか、私はすべて知っていた」との発言は誇張ではなかった。
文●出野哲也
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