【センター】
カリーム・アブドゥル・ジャバー
1947年4月16日生。218cm・102kg
1969年ドラフト1位
キャリアスタッツ:1560試合、平均24.6点、11.2リバウンド、3.6アシスト
レブロンが登場するまで、最高の1位指名選手の座はジャバーで揺るがなかった。高校時代、そして大学のUCLAでも常に彼の率いるチームは敗北とほとんど無縁。プロでも同様で、69年のドラフト1位でミルウォーキー・バックスに入団すると、前年は27勝しかできなかったチームは56勝へ躍進。翌71年には王座に就き、自身もシーズンMVPとファイナルMVPをW受賞した。
本名はルー・アルシンダーで、71年オフにイスラム教に由来する名前に改名。最初の7年間はすべて平均27点&14リバウンド以上、75-76シーズンからレイカーズでプレーし、80年までに史上最多となる6度のMVPに輝いた。
80年代中盤に入ってからは緩やかに成績が下がっていったが、大きな故障もなく20年間プレーし続け、史上最多の通算3万8387点を記録。得意技のスカイフックは、当時のNBAの代名詞とも言える知名度があり、また武術の師匠でもあったブルース・リーの映画で敵役を演じるなど、俳優としての活動でも足跡を残した。
【シックスマン】
アキーム・オラジュワン
1963年1月21日生。213cm・116kg
1984年ドラフト1位
キャリアスタッツ:1238試合、平均21.8点、11.1リバウンド、2.5アシスト
ここまで登場した選手は、同期生にコビー・ブライアントやスティーブ・ナッシュがいるアイバーソン以外は、皆その年の指名選手でナンバーワンの実績を残した。
しかしヒューストン・ロケッツで活躍したオラジュワンの場合は、自身も史上有数の大選手であるにもかかわらず、84年のドラフト同期生にもっとすごい選手がいる。3位でシカゴ・ブルズに入団したマイケル・ジョーダンだ。
ロケッツもドラフト前からジョーダンを高く評価しており、コインフリップ(コイントス)で1位指名権を獲得できれば地元ヒューストン大のスターだったオラジュワンを、2位ならジョーダンを指名するつもりだった。前年にドラフト1位で獲得した先発センターのラルフ・サンプソンを、ジョーダンとトレードしようとの案もあったようだ。
結果は幸か不幸か1位指名権を獲得したロケッツが、予定通りにオラジュワンを指名。ジョーダンが一時的に引退していた94年、オラジュワンはMVPに輝く活躍でロケッツを初の王座に導き、翌95年も2連覇を果たしたのだから、1位指名が失敗だったわけではない。単にそれを上回る大成功のチャンスを逃したということである。
文●出野哲也
カリーム・アブドゥル・ジャバー
1947年4月16日生。218cm・102kg
1969年ドラフト1位
キャリアスタッツ:1560試合、平均24.6点、11.2リバウンド、3.6アシスト
レブロンが登場するまで、最高の1位指名選手の座はジャバーで揺るがなかった。高校時代、そして大学のUCLAでも常に彼の率いるチームは敗北とほとんど無縁。プロでも同様で、69年のドラフト1位でミルウォーキー・バックスに入団すると、前年は27勝しかできなかったチームは56勝へ躍進。翌71年には王座に就き、自身もシーズンMVPとファイナルMVPをW受賞した。
本名はルー・アルシンダーで、71年オフにイスラム教に由来する名前に改名。最初の7年間はすべて平均27点&14リバウンド以上、75-76シーズンからレイカーズでプレーし、80年までに史上最多となる6度のMVPに輝いた。
80年代中盤に入ってからは緩やかに成績が下がっていったが、大きな故障もなく20年間プレーし続け、史上最多の通算3万8387点を記録。得意技のスカイフックは、当時のNBAの代名詞とも言える知名度があり、また武術の師匠でもあったブルース・リーの映画で敵役を演じるなど、俳優としての活動でも足跡を残した。
【シックスマン】
アキーム・オラジュワン
1963年1月21日生。213cm・116kg
1984年ドラフト1位
キャリアスタッツ:1238試合、平均21.8点、11.1リバウンド、2.5アシスト
ここまで登場した選手は、同期生にコビー・ブライアントやスティーブ・ナッシュがいるアイバーソン以外は、皆その年の指名選手でナンバーワンの実績を残した。
しかしヒューストン・ロケッツで活躍したオラジュワンの場合は、自身も史上有数の大選手であるにもかかわらず、84年のドラフト同期生にもっとすごい選手がいる。3位でシカゴ・ブルズに入団したマイケル・ジョーダンだ。
ロケッツもドラフト前からジョーダンを高く評価しており、コインフリップ(コイントス)で1位指名権を獲得できれば地元ヒューストン大のスターだったオラジュワンを、2位ならジョーダンを指名するつもりだった。前年にドラフト1位で獲得した先発センターのラルフ・サンプソンを、ジョーダンとトレードしようとの案もあったようだ。
結果は幸か不幸か1位指名権を獲得したロケッツが、予定通りにオラジュワンを指名。ジョーダンが一時的に引退していた94年、オラジュワンはMVPに輝く活躍でロケッツを初の王座に導き、翌95年も2連覇を果たしたのだから、1位指名が失敗だったわけではない。単にそれを上回る大成功のチャンスを逃したということである。
文●出野哲也