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NBA

【NBAデュオ列伝|後編】ドクターJ&マローン――華麗な技と不屈の努力で全米に旋風を巻き起こしたABA最強コンビ<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.11.28

 これまで何度も大口を叩いて失敗してきたマローンだったが、今度こそはほぼ宣言通りの展開となった。カンファレンス準決勝でニューヨーク・ニックスに4タテを食らわせ、ミルウォーキー・バックスとのカンファレンス決勝は第4戦を落としたものの、第5戦に勝ってNBAファイナルへ進んだ。

 相手は前年王者のレイカーズだったが、ジェームズ・ウォージー、ボブ・マッカドゥーらの主力を故障で欠いた状態では、ドクターJ&マローンの強力コンビの敵ではなかった。

 瞬く間に3連勝して優位に立つと、第4戦も前半終了時に14点あった点差を見る見るうちに詰め、試合残り2分からドクターJの7連続得点で一気に突き放して16年ぶりの優勝を決めた。ファイナルMVPには、ジャバーを攻守に圧倒したマローンが選ばれた。

 普段はクールなドクターJも、さすがにこの時ばかりは喜びを爆発させた。ビリー・カニンガムHCは、「彼のことは昔から知っているが、これほどエキサイトしているのは初めて見た。まるで21歳の頃 (アメリカでは大人になったばかりの時期を意味する) に戻ったようだったね」と笑みを浮かべた。
 
■正反対の2人を結んだ信頼と尊敬の強い絆

「どこにも栄冠を渡すつもりはありません。私たちの時代は、これから始まるのです!」

 フィラデルフィアのダウンタウンで行なわれ優勝記念セレモニーで、ドクターJは力強くファンに向けて挨拶した。しかし、その約束が叶えられることはなかった。

 翌84年のプレーオフでは、格下のネッツ相手にまさかの1回戦敗退。85年には新人のチャールズ・バークレーが入団したが、もはや35歳のドクターJに全盛期の力は残されていなかった。

 マローンも85-86シーズンを最後にワシントンへトレードされ(バークレーはその日のことを「人生で最も悲しい日」と呼んだ)、2人のコンビはわずか4年で終わりを告げた。 ドクターJは翌86-87シーズン限りで引退。マローンはキャリアの晩年にはジャーニーマンと化しながら、40歳まで現役を続けた。
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