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【NBAデュオ列伝|後編】ドクターJ&マローン――華麗な技と不屈の努力で全米に旋風を巻き起こしたABA最強コンビ<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.11.28

 バークレーは入団当時、新人の仕事であるベテラン選手の身の回りの雑用係として、マローンに付き従った。彼にとってドクターJは雲の上の存在として近づきがたかったようだが、マローンには私生活上の注意も含めていろいろなことを学び、「バスケットボールの師匠」と仰いだ。その様子が、彼の自伝では生き生きと描かれている。

「ドクはハードにプレーし、つまらぬトラブルを避けながら、いつも大いなる人気を誇った。コートでは身体で模範を示した。他の選手は、指をくわえて彼のプレーを羨むだけだった……だが、コート以外の場所でもリーダーシップを発揮し、チームをひとつにまとめ、選手からベストプレーを引き出す本当の意味でのリーダーはモーゼスだった。俺が困った時には助言をし、ジョークを言って気分をほぐし、問題を抱えている時には話し相手にもなってくれた」
 
 2001年、マローンはバスケットボール殿堂入りを果たした。そのセレモニーには、すでに93年に殿堂入りを果たしていたドクターJも祝福に訪れた。2015年にマローンが60歳で亡くなった際、ドクターJは『スポーツ・イラストレイテッド』の取材にこのように答えて、旧友との別れを惜しんだ。

「シクサーズにいた頃、私たちはお互いの誕生パーティーに必ず顔を出す仲だった。引退後も誕生日にはメッセージを送っていた。そのような友人のリストは、年を経ていくうちに短くなっていく。でもモーゼスは、最後までそのリストから外れることはなかった」

 バークレーは、前述の自伝で次のように述べている。

「ジュリアスとモーゼスの2人がいたからこそ、シクサーズはNBAを制するチームに必要な感情的バランスを保持できたのだろう」

 ABAとNBAとをつなぎ、新たな時代を切り拓いた2人の英雄は、長いNBAの歴史の中でも最も尊敬される、偉大な存在であることに疑いはない。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2006年5月号掲載原稿に加筆・修正。
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