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NBA

【NBAスター悲話】モックムード・アブドゥル・ラウーフ――難病ゆえにトップアスリートに上り詰めた哀しき求道者【前編】

大井成義

2020.01.20

 トゥレット症候群はジャクソンを徹底的に苦しめた。ところがそんな苦痛とは裏腹に、病気のおかげでとある能力が見事に開花していくことになる。少年の大好きなバスケットボールがそれだった。

 子どもの頃、炎天下のプレーグラウンドでシュート練習を繰り返していた。始めてからすでに2時間以経っており、暑さと疲労で倒れそうだった。しかし病気がそれを止めさせてくれなかった。あまりの辛さに涙が流れてくる。それでも完璧にシュートが入ったと感じるまで、彼はどうしても練習を止めることができなかった。

 ある時は、ジムをなかなか去れなかった。10本のジャンプショットを連続して決めるまで、それもすべてネットを完璧に揺らすシュートでなくてはならなかった。1本でも完璧な揺れではないと感じたら、また1からスタートする。肩で息をつくほど疲れても、途中で止めることはできなかった。
 
 ガルフポート高校時代に2年連続で州のMr.バスケットボールに選ばれ、3年時には平均得点29.9点、5,7アシストを記録し、マクドナルド・オールアメリカンに選出。強豪ルイジアナ州大に進学すると、またたく間にカレッジバスケットボール界の寵児となった。1年目からチームのスコアリングリーダーとなり、平均30.2点をマーク。それ以降、平均30点以上を記録した1年生は存在しない。新人レコードとなる1試合55得点も記録している。

 2年時には同大にシャキール・オニールが入学。彼の平均得点13.9点に対しジャクソンは27.8点をマーク。2年連続でSEC(サウスイースタン・カンファレンス)最優秀選手賞とオールアメリカン1stチームに選ばれ、同じくオールアメリカンだったアロンゾ・モーニングは、ジャクソンを「アメリカ最高のシューター」と評している。

 こんな衝撃のエピソードもある。全米のエリートカレッジ選手が一同に介するナイキのバスケットボールキャンプに、ジャクソンも招待された。そこに、当時20代中盤でリーグのトップに君臨していたマイケル・ジョーダンが顔を出し、2人は10点先取の1on1をプレーした。するとジャクソンはジョーダンを打ち負かしてみせた。スコアはなんと10−0。

 ジャクソンは大学で2年間プレーした後、1990年のドラフトにエントリーし、デンバー・ナゲッツに1巡目3位で指名される。ドラフト当時のHC、ダグ・モーがジャクソンに付けたニックネームは、“ミニ・マイケル・ジョーダン”だった。
 
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