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NBA

【NBAスター悲話】モックムード・アブドゥル・ラウーフ――難病ゆえにトップアスリートに上り詰めた哀しき求道者【前編】

大井成義

2020.01.20

 だが、その後の道程は決して順調なものではなかった。プロ入りにあたり、ジャクソンは大きなミスを犯す。「NBAでプレーするには、もっと逞しい身体が必要」、そう大学のコーチや友人からアドバイスされたジャクソンは、オフの間にウェイトトレーニングに励み、体重を7kgも増やしてトレーニングキャンプに挑んだ。そのせいで、彼の動きは以前より緩慢なものになっていた。

 そしてトゥレット症候群にまったく慣れていないリーグやレフェリー、コーチ、チームメイトとの間にも摩擦が生じた。自分の意志とは無関係に突然出る症状は、そう簡単に理解してもらえるものではなかった。ミーティングでコーチが話している最中、何の脈絡もなく“Whoops!(あらら)”や“Uh-huh!(なるほど)”といった言葉を連発してひんしゅくを買ったり、隣にいるチームメイトを無意識に繰り返しこづいたりする。叩かれた相手は、ひどい時にはアイシングを施さなければならないほどだった。

 また試合中、本人は何もしていないつもりでも身体が勝手に動いてしまったり、相手を不愉快にさせる言葉や表情がついつい出てしまい、テクニカルファウルを取られたことも何度かあった。こればかりは、いくら審判に説明したところで、容赦してもらえる問題ではなかった。
 
 自分の症状をコントロールできず、また理解してもらえない状態が長く続いたことにより、ジャクソンは自分の殻に閉じこもり、チームと積極的に交わろうとしなくなってしまっていた。当時チームメイトだったレジー・ウィリアムズは、「あの時、多くの連中がクリスを横暴で嫌なヤツだと思っていた」、そう語っている。

 ルーキーイヤーの平均出場時間は22.5分、平均得点14.1点、2年目が19.0分、10.3点と、本領を発揮できないまま過ごしたジャクソンだったが、3年目に様相は一変する。夏の間中ワークアウトに励んで体重を15kg絞り、1日600本のシュート練習を毎日繰り返した。さらに幸運なことに、ジャクソンをまったく理解してくれなかったコーチが去り、チームは新たなヘッドコーチ、ダン・イッセルを迎えた。(後編に続く)

文●大井成義

※『ダンクシュート』2003年5月号掲載原稿に加筆・修正。
 

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