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海外サッカー

今度は「イタリアの英雄」が逝く…82年W杯の主役パオロ・ロッシが歩んだアップダウンのキャリア

THE DIGEST編集部

2020.12.10

64歳でこの世を去ったロッシ氏。82W杯では、得点王とMVPに輝いた。(C)Getty Images

64歳でこの世を去ったロッシ氏。82W杯では、得点王とMVPに輝いた。(C)Getty Images

 アルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナの死が世界に与えた衝撃と悲しみが冷めやらぬうちに、今度はイタリアの英雄があまりも早く逝ってしまった……。

 1982年スペイン・ワールドカップで、イタリアの3回目の優勝に大貢献した元イタリア代表ストライカーのパオロ・ロッシ(敬称略)が12月9日(現地時間)、肺がんのためにこの世を去った。64歳だった。

 2010年にロッシと結婚したジャーナリストの妻、フェデリカ・カッペレッティさんが自身のSNSで夫の死を発表するとともに、「あなたのような人はもう二度と現われない。ユニークで、特別であり、あなたの後には何もない」と想いを綴り、また2人の仲睦まじい写真を「永遠に」という一文とともに公開した。

 イタリア最大のスポーツ紙『Gazzetta dello Sport』は「真夜中の酷いニュース。イタリア、そして世界のサッカー界を混乱させる」と報じ、不世出のストライカーの偉大な軌跡を辿るとともに、冥福を祈っている。

 1956年9月23日、トスカーナ州プラートに生まれたロッシは、16歳でユベントスと契約するも、すぐに膝を痛めて手術、長期のリハビリを強いられるも、憧れのペレのような点取り屋になる夢を捨てず、CFとして能力を磨き、77年にヴィチェンツァでリーグ得点王となった。
 
 イタリア代表としては77年にデビューを果たし、名将エンツォ・ベアルツォットにみそめられ、78年アルゼンチン・ワールドカップでレギュラーとして印象的なプレーを披露、3得点をマークして4位入賞に貢献し、イタリアの新たなエース候補として一気に注目度を高めた。

 ところがペルージャ時代の80年、八百長事件への連座疑惑で長期出場停止処分を受ける。後に「2-2で引き分けたアベリーノ戦が疑われたが、この試合で私は2ゴールを挙げているのに、なぜか巻き込まれてしまった。やってもいないことで処分を受けるのはつらかった」と無実であることを訴えている。

 処分期間中はスポーツウェア会社に勤めながら、トレーニングに励んだという彼は、82年5月に復帰、同年のスペインW杯で驚きのメンバー入りを果たす。1次リーグでは無得点も、2次リーグの大一番、ブラジル戦で5分に先制ヘッドを叩き込むと、「心理的に解き放たれた」(本人談)ロッシはハットトリックを達成して歴史に残る番狂わせを演じ、以降、準決勝ポーランド戦でチームの全得点(2点)、決勝の西ドイツ戦でも貴重な先制ゴールを挙げた。

 大会得点王に加え、大会MVPにも選出、さらに同年のバロンドールも受賞して頂点に昇り積めたロッシだが、その後は調子が上がらず、ユベントスでは85年に欧州制覇を果たしたものの、同年にミランへ移籍、ヴェローナと渡り歩き、87年に30歳の若さで現役生活に幕を閉じた。

 ミラン時代の同僚だったパオロ・マルディーニが「無念さが伝わってきて心が痛かった」と振り返るほど、キャリアの終盤は再び怪我に悩まされたロッシは、引退後は「しばらくサッカーを忘れたくて、不動産業に没頭した」が、その後はリーグでの役職の他、コメンテーター、そしてサッカー大使としての役割も果たしていた。

 ヒョロリとした風貌と、巧みなポジショニングでの「ごっつぁんゴール」の印象が強いが、ドリブルが上手く、DFを置き去りにするスピード、見た目からは想像できないほどの強さも持ち合わせており、シュートは強く正確、そしてチームの攻撃全体を操作する能力にも長けていた。

 38年前にイタリア全国民を歓喜させ、同時にブラジル全国民を泣かせた「パブリート」。しかし今は、世界がその早すぎる死を悲しんでいることだろう。

構成●THE DIGEST編集部
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