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海外サッカー

「日本にいただけでサッカーを知らない」とファーガソンに皮肉られたヴェンゲルはアーセナルをどう変えた?「最も効率的なものは何かを考えた」

THE DIGEST編集部

2021.11.10

名古屋から電撃的にアーセナルへ就任したヴェンゲル(左)。この時、48歳だったフランス人指揮官を痛烈に皮肉ったのが、ファーガソン(右)だった。(C)Getty Images

名古屋から電撃的にアーセナルへ就任したヴェンゲル(左)。この時、48歳だったフランス人指揮官を痛烈に皮肉ったのが、ファーガソン(右)だった。(C)Getty Images

 1996年10月、アーセナルによるアーセン・ヴェンゲルの招聘は、まさに仰天の人事だった。

 ナンシーとモナコの監督を歴任したヴェンゲルは、1995年から名古屋グランパスの指揮官に就任。1年目で年間総合順位3位(2ステージ制)に導き、最優秀監督賞を手にすると、天皇杯も制してクラブに初タイトルをもたらした。

 日本サッカー界で確かな功績を残したヴェンゲルを引き抜いたのが、ノースロンドンの名門だった。

 現代のようにインターネットが発展していない時代、いまほど簡単に情報を入手できるわけではない。ゆえに東洋の島国で指揮を執っていた当時48歳のフランス人指揮官の招聘は、とりわけ英国内で小さくない衝撃となった。ロンドンの日刊紙『Evening Standard』が、「Arsene Who?(アーセンって誰?)」と大々的に見出しを打ち、その手腕に疑問符をつけた。

 就任当初は22年に及ぶことになる長期政権を誰もが予見していなかった。それはライバルチームの指揮官たちも同様だった。マンチェスター・ユナイテッドを率いていたアレックス・ファーガソンは、あるメディアの取材にこう語っていた。

「アーセン・ヴェンゲルは日本に1年いたぐらいで、イングランドはもちろん、サッカーのことなど何も知らないだろう。彼はこっちのサッカーは何を要求されるかと理解していないし、8日間で4試合をこなすのはただただクレイジーだと嘆くだけだ」
 

 絶対的な存在感を誇った名将からの痛烈な皮肉だった。しかし、「サッカーの何たるかを知っているのはイングランドだけではないことを示す良い機会だと思った」というヴェンゲルに導かれたアーセナルは、当時では革新的だった食生活や飲酒習慣の改善などにより劇的に改善。2003-04シーズンには、いまだ達成クラブのないプレミアリーグ無敗優勝を成し遂げるなど、絶対的地位を確立しようとしていたマンチェスター・ユナイテッドの前に立ちはだかったのである。

 アーセナルに文字通りの変革をもたらしたヴェンゲルは、英紙『The Guardian』で、自身の手腕について「正確に分析することが何よりも大事だと常に考えてきた」と明かしている。

「選手を見境なく怒鳴り散らす“ヘアドライヤーメソッド”は、自分の不満を八つ当たり的に発散するものであり、あまり効率的ではないと考えていた。毎週末にそんなことをしていたら、周囲が監督の振る舞いに合わせなければいけなくなる。私は優しくすること、状況を把握すること、どうするべきかを示すことこそが重要だと思っていた。

 そして『最もスペクタクルなものではなく、最も効率的なものは何か』を考えてきた。私自身は、とても怒りっぽい性格で、理性を失うと危ういことになる。だから、自分をコントロールすることを学んだ。自分を制御できない時には取り返しのつかないミスをすることがあるからね」

 プレミアリーグ3度の優勝とFAカップ制覇7回の功績を残したヴェンゲル。そのチーム再建の手法は、くしくも皮肉を言われたファーガソンのそれに逆行するものだった。

構成●THE DIGEST編集部

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