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海外サッカー

「奇跡を願っていた」すい臓がんで逝った名手ヴィアッリ。盟友マンチーニが明かした“最後の会話”「人生のほとんどを一緒に」

THE DIGEST編集部

2023.01.09

サンプドリア時代からの同僚であり、家族のような存在としてヴィアッリ(左)と関係を築いていたマンチーニ(右)。そんな盟友の死に彼は複雑な心境を漏らしている。(C)Getty Images

サンプドリア時代からの同僚であり、家族のような存在としてヴィアッリ(左)と関係を築いていたマンチーニ(右)。そんな盟友の死に彼は複雑な心境を漏らしている。(C)Getty Images

 イタリアの歴史に残るストライカーのひとりで、イングランドのプレミアリーグでも足跡を残したジャンルカ・ヴィアッリ。2017年にすい臓がんが発覚し、2020年4月に一度は完治したとされていたが、翌年12月に再発、以降は英国ロンドンの病院で病との戦いを続けていたが、1月6日に悲報が世界を駆けめぐった。

 58歳の若さで逝った偉大なレジェンドは、1964年7月9日にクレモーナで生まれ、80年に故郷のクラブ、クレモネーゼでプロデビュー。84年にサンプドリアに加入すると、ロベルト・マンチーニとの2トップでクラブに多くの勝利をもたらすとともに、コッパ・イタリア、カップウィナーズ・カップといったタイトルを奪取。1991年にクラブ史上初のセリエA制覇を果たして歴史に名を残し、翌年にはチャンピオンズ・カップ(現リーグ)決勝にも出場した。
 
 ウェンブリーでバルセロナに敗れて欧州制覇を逃した後、ユベントスに当時の世界最高額となる1200万ポンド(約19億円)で移籍し、セリエA、コッパ・イタリア、UEFAカップ、そしてチャンピオンズ・リーグの優勝に貢献。そして1996年にプレミアリーグに新天地を求め、チェルシーで3シーズンを過ごし、3つの国内外のタイトル獲得に貢献。ここではプレーイングマネジャーも務め、引退後も監督としてチームを率い、2001年にはワトフォードでも指揮を執った。

 1990-91シーズンのセリエA得点王はまた、イタリア代表として59試合に出場して16得点。1986年メキシコ・ワールドカップで前回王者のチームに21歳で加わり、その躍動感のある力強いプレーで見る者に印象を与えた。EURO1988でさらなる成長を見せたヴィアッリは、2年後の自国開催のW杯をエースストライカーとして迎えた。引退後も、代表団長としてEURO2020で「アズーリ」に帯同し、母国の1968年大会以来の欧州制覇を果たしている。

「スナイパー」と表現され、抜群の得点力を示したヴィアッリの死に、「彼がアズーリのためにしてくれたことを忘れない」(イタリア・サッカー連盟ガブリエレ・グラビーノ会長)、「あなたは我々にとって消えることのないお手本であり続けるだろう」(クレモネーゼ)、「永遠の関係。君は我々の一部だ」(サンプドリア)、「いつも我々の心の中に」(ユベントス)、「永遠に大切な多くの思い出をありがとう」(チェルシー)、「元監督の訃報に、クラブの誰もが悲しみに暮れている」(ワトフォード)と、多くの哀悼の言葉が寄せられた。
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