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海外サッカー

「W杯史上最も偉大なチャンピオン」逝去したブラジルの名将ザガロに国内のレジェンドや各国メディアから賛辞

THE DIGEST編集部

2024.01.08

1月5日に亡くなったザガロ氏。母国ブラジルを数々の栄光に導いた。(C) Getty Images

1月5日に亡くなったザガロ氏。母国ブラジルを数々の栄光に導いた。(C) Getty Images

 ブラジル代表の選手、監督、アシスタントとして、4度のワールドカップ優勝に貢献した偉大なるレジェンド、マリオ・ジョルジ・ロボ・ザガロが1月5日、92歳で死去した。昨年12月末からリオデジャネイロのバラドール病院に入院しており、死因は多臓器不全だと発表されている。

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 1931年8月9日にアラゴアス州の州都マセイオで生まれ、生後8か月でリオデジャネイロに移住したザガロは、アメリカのユースチームを経て、フラメンゴに加入し、51年にプロデビュー。左ウイングとして、1953年からチームをリオ州選手権の3連覇に導き、58年に移籍したボタフォゴでもリオ州選手権2連覇(61、62年)を含む4タイトルをもたらした。

 18歳で陸軍に招集された際には、自国開催の50年ワールドカップ決勝(決勝リーグ最終戦)でスタジアムの警備を務め、ウルグアイに逆転負けを食らった「マラカナンの悲劇」の目撃者となった彼は、58年に代表初キャップを刻み、同年のW杯スウェーデン大会では開催国との決勝戦でゴールを決めて初優勝に貢献。攻撃選手でありながら、相手の中盤選手のマークに奔走して「フォルミギーニャ(小さな蟻)」と呼ばれるなど、当時としては珍しいタイプだったという。

 続くチリ大会でも主力として連覇を果たすと、その2年後に現役を引退し、66年にボタフォゴで指導者としてのキャリアをスタートさせたザガロが、再び世界で脚光を浴びたのは70年。それまで、67、68年に1試合だけ「セレソン」を率いた経験を持つ彼は、メキシコW杯開幕の3か月前に解任されたジョアン・サルダーニャに代わって指揮を執り、ペレら優れたタレントたちが揃った史上最高といわれるチームで史上最高のプレーを見せてV3一番乗りを果たし、ジュール・リメ・カップ永久保持という栄誉を授けられた。

 その後、クラブでは国内外の7クラブ、また代表チームは中東のクウェート、サウジアラビア、UAEを率い、UAEでは90年イタリアW杯で予選初突破を達成(本大会での指揮はカルロス・アルベルト・パレイラ)。ブラジル代表では、王者として臨んだ74年西ドイツW杯でヨハン・クライフのオランダ代表に完敗を喫して4位に終わって退任したが、91年からパレイラ監督のテクニカルコーディネーターとしてセレソンに携わり、94年のアメリカW杯で4度目の世界一を経験した。

パレイラ退任後に代表監督復帰を果たすと、怪物ロナウドを擁して世界最強といわれたチームを約4年間率い続け、ジーコをアシスタントに添えて臨んだ98年フランスW杯では準優勝。大会屈指の好勝負となった準決勝オランダ戦でPK戦を制した後、感涙に咽ぶ彼の姿を記憶に留めている者は少なくないだろう。

 そして、ブラジルが5度目の世界一を果たした2002年に暫定として最後の指揮を執り、2003年から2006年のドイツW杯まで、パレイラ監督の下で再びテクニカルコーディネーターを務めたのが、名将にとっての最後の職務となった。
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