お届けするのは、サンプドリアに移籍した吉田麻也、さらには吉田の前所属サウサンプトンの複数の選手と個人トレーナー契約を結んでいる木谷将志氏のインタビューだ。足による独自の施術で信頼を掴み、かつてはファン・ダイクの依頼も受けていた"サムライ"に直撃した。
◆ ◆ ◆
ワールドサッカーダイジェスト(以下WSD):早速ですが、トレーナーを志した経緯を聞かせてください。
木谷将志(以下、木谷氏):小学校低学年のときにJリーグが開幕しました。その頃から高校までサッカーを続けて、(高校を)卒業後にこの道を選びました。高校時代は田舎だったこともあって、怪我をしたときに周りにケアしてくれる人がいませんでした。整形外科に行っても「休みなさい」と言われるばかりで、身近にトレーナーさんがいてくれたらいいのになぁと。それがこの道を志したきっかけですかね。サッカーしかやってこなかったので、どうせならサッカーに携わる仕事に就きたかった。それもあって、トレーナーを選びました。
WSD:そこから専門学校を経て、トレーナーになっていくわけですね。
木谷氏:はい。ただ、専門学校の授業だけでは「足りない」と感じていました。広く浅くやっただけ、そんな感覚があって。トレーナーと言っても、いろんな仕事がありますよね。通っていた専門学校でもトレーニング、コンディショニング、栄養学と学ぶ分野は人それぞれで。僕が至った結論は、「絶対に必要なのは治療」でした。他の分野は結果が見えにくいし、それで本当に食べていけるのかと、疑問を感じたんです。たまたま父親が慈佑館の北川彰良先生と知り合いだったので、専門学校卒業後に弟子入りできました。そこから、僕が「暗黒の時代」と呼ぶ厳しい修行が始まりました(苦笑)。
WSD:ハハハ。ただ、厳しい試練を経験されたからこそ、プロアスリートにも認められる素晴らしい技術を習得して、そして吉田麻也選手の個人トレーナーを務めるまでになられたのですよね?
木谷氏:もともとアスリートのトレーナー志望だったんですけど、幸いにも北川先生の慈佑館は野球選手やサッカー選手、力士などのプロスポーツ選手が通う相模原にある治療院だったんです。僕はそこで10年間、修業をさせていただきました。
WSD:吉田選手のトレーナーになった経緯を教えてください。
木谷氏:吉田選手と出会ったのは、藤田俊哉選手の引退試合です。北川先生が俊哉さんをずっと治療していて、僕自身もかわいがってもらっていました。その引退試合のときに、メディカルスタッフとして付き添ってほしいという話をいただいたのです。ちょうどプレミアリーグ1年目を終えた吉田選手が、帰国している時期でした。麻也くんは股関節痛を患っていて、何をやっても良くならないというので、治療を担当させてもらったんです。そこからお付き合いが始まりました。
WSD:2013年のことですね。
木谷氏:その時は、軽く施術しただけでした。ただ、すぐ後に日本代表の試合が豊田で控えていて、僕の任されていた治療院も名古屋にあったので、また麻也くんを診る機会が訪れたんです。選手に(治療を)求められたときは、基本的に「イエス」と答えるのが僕のポリシーなので、「英国に帰る前に施術をお願いしたい」という麻也くんのオファーを受けました。開業して1~2年目のとても忙しい時期で、しかもあの時は相撲の名古屋場所前。(診ていた)力士たちもすでに現地入りしている状況で、2~3週間ずっと休みがありませんでした。だから、「次の休診日は誰から連絡があっても休む!!」と宣言していたんですが、(休診日前日の)火曜の夜に連絡があったんです。でも、逆に言えば、休診日でなければ麻也くんを診られなかったと思います。だから、奇跡の出会いだったのかもしれません。ちなみに、その日は豪栄道関からも連絡が入って……。時間をかけて2人を入念に施術しました(笑)!!
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ワールドサッカーダイジェスト(以下WSD):早速ですが、トレーナーを志した経緯を聞かせてください。
木谷将志(以下、木谷氏):小学校低学年のときにJリーグが開幕しました。その頃から高校までサッカーを続けて、(高校を)卒業後にこの道を選びました。高校時代は田舎だったこともあって、怪我をしたときに周りにケアしてくれる人がいませんでした。整形外科に行っても「休みなさい」と言われるばかりで、身近にトレーナーさんがいてくれたらいいのになぁと。それがこの道を志したきっかけですかね。サッカーしかやってこなかったので、どうせならサッカーに携わる仕事に就きたかった。それもあって、トレーナーを選びました。
WSD:そこから専門学校を経て、トレーナーになっていくわけですね。
木谷氏:はい。ただ、専門学校の授業だけでは「足りない」と感じていました。広く浅くやっただけ、そんな感覚があって。トレーナーと言っても、いろんな仕事がありますよね。通っていた専門学校でもトレーニング、コンディショニング、栄養学と学ぶ分野は人それぞれで。僕が至った結論は、「絶対に必要なのは治療」でした。他の分野は結果が見えにくいし、それで本当に食べていけるのかと、疑問を感じたんです。たまたま父親が慈佑館の北川彰良先生と知り合いだったので、専門学校卒業後に弟子入りできました。そこから、僕が「暗黒の時代」と呼ぶ厳しい修行が始まりました(苦笑)。
WSD:ハハハ。ただ、厳しい試練を経験されたからこそ、プロアスリートにも認められる素晴らしい技術を習得して、そして吉田麻也選手の個人トレーナーを務めるまでになられたのですよね?
木谷氏:もともとアスリートのトレーナー志望だったんですけど、幸いにも北川先生の慈佑館は野球選手やサッカー選手、力士などのプロスポーツ選手が通う相模原にある治療院だったんです。僕はそこで10年間、修業をさせていただきました。
WSD:吉田選手のトレーナーになった経緯を教えてください。
木谷氏:吉田選手と出会ったのは、藤田俊哉選手の引退試合です。北川先生が俊哉さんをずっと治療していて、僕自身もかわいがってもらっていました。その引退試合のときに、メディカルスタッフとして付き添ってほしいという話をいただいたのです。ちょうどプレミアリーグ1年目を終えた吉田選手が、帰国している時期でした。麻也くんは股関節痛を患っていて、何をやっても良くならないというので、治療を担当させてもらったんです。そこからお付き合いが始まりました。
WSD:2013年のことですね。
木谷氏:その時は、軽く施術しただけでした。ただ、すぐ後に日本代表の試合が豊田で控えていて、僕の任されていた治療院も名古屋にあったので、また麻也くんを診る機会が訪れたんです。選手に(治療を)求められたときは、基本的に「イエス」と答えるのが僕のポリシーなので、「英国に帰る前に施術をお願いしたい」という麻也くんのオファーを受けました。開業して1~2年目のとても忙しい時期で、しかもあの時は相撲の名古屋場所前。(診ていた)力士たちもすでに現地入りしている状況で、2~3週間ずっと休みがありませんでした。だから、「次の休診日は誰から連絡があっても休む!!」と宣言していたんですが、(休診日前日の)火曜の夜に連絡があったんです。でも、逆に言えば、休診日でなければ麻也くんを診られなかったと思います。だから、奇跡の出会いだったのかもしれません。ちなみに、その日は豪栄道関からも連絡が入って……。時間をかけて2人を入念に施術しました(笑)!!