98年のJリーグチャンピオンである鹿島は、翌99年の1stステージ終盤からクラブワーストとなるJリーグ8連敗を喫し、混迷を極めていた。J2降格の危機に巻き込まれそうになったこともあり、ついにクラブは苦渋の決断を下す。98年のJリーグ制覇に尽力したゼ・マリオ監督を解任し、ジーコTDにチームの再建を託したのだった。
初采配となったのは99年8月28日、2ndステージ5節の磐田戦(アウェー)だ。ブラジルに一時帰国していたジーコTDは試合に合わせて来日し、スタジアムに直行するという慌ただしさだった。
結果は4-0の大勝。連敗を8で止めただけではなく、この勝利をきっかけにチームは息を吹き返していく。Jリーグと同時進行のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)では、決勝にまで勝ち上がった。
磐田戦のあと、ジーコTDはこんなふうに総括している。
「鹿島はチャンスをものにし、磐田はチャンス(二度のPK)を生かせなかった。それが勝負の分かれ目だった。ミスが多くなってしまうと、やはり勝つことは難しい」
そして、こう続けている。
「(8連敗した)ここまでの鹿島を振り返っても自分たちのつまらないミスからリズムを崩し、自滅していた。チームのためにと思い、一人ひとりが無理して動き回るとバランスを崩す原因にもなる。それぞれのポジションの役割をしっかり整理して、できるところから始めよう。難しく考えてはいけない。基本に忠実なプレーをひとつひとつ積み上げていこうと選手たちに伝えた」
他の追随を許さないJクラブ最多の20冠を誇る鹿島だが、その一方で、いく度となく窮地に立たされている。そのたびに不振の理由を探り当て、対策を練って、実行に移していく。そうやって苦難を乗り越えてきた。
クラブ史上初の最下位スタートとなったJリーグも8月8日、9節の鳥栖戦に2-0で勝利し、少し持ち直した感がある。今季初の失点ゼロゲーム。荒木遼太郎、染野唯月、和泉竜司、エヴェラウドの4人が絡んだ2点目の崩しは見事なものだった。
8月はトータル9試合と、かなりの過密日程だが、ジーコTDの啓示が“巻き返しの夏”への道しるべになるに違いない。
取材・文●小室功(オフィスプリマベーラ)
初采配となったのは99年8月28日、2ndステージ5節の磐田戦(アウェー)だ。ブラジルに一時帰国していたジーコTDは試合に合わせて来日し、スタジアムに直行するという慌ただしさだった。
結果は4-0の大勝。連敗を8で止めただけではなく、この勝利をきっかけにチームは息を吹き返していく。Jリーグと同時進行のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)では、決勝にまで勝ち上がった。
磐田戦のあと、ジーコTDはこんなふうに総括している。
「鹿島はチャンスをものにし、磐田はチャンス(二度のPK)を生かせなかった。それが勝負の分かれ目だった。ミスが多くなってしまうと、やはり勝つことは難しい」
そして、こう続けている。
「(8連敗した)ここまでの鹿島を振り返っても自分たちのつまらないミスからリズムを崩し、自滅していた。チームのためにと思い、一人ひとりが無理して動き回るとバランスを崩す原因にもなる。それぞれのポジションの役割をしっかり整理して、できるところから始めよう。難しく考えてはいけない。基本に忠実なプレーをひとつひとつ積み上げていこうと選手たちに伝えた」
他の追随を許さないJクラブ最多の20冠を誇る鹿島だが、その一方で、いく度となく窮地に立たされている。そのたびに不振の理由を探り当て、対策を練って、実行に移していく。そうやって苦難を乗り越えてきた。
クラブ史上初の最下位スタートとなったJリーグも8月8日、9節の鳥栖戦に2-0で勝利し、少し持ち直した感がある。今季初の失点ゼロゲーム。荒木遼太郎、染野唯月、和泉竜司、エヴェラウドの4人が絡んだ2点目の崩しは見事なものだった。
8月はトータル9試合と、かなりの過密日程だが、ジーコTDの啓示が“巻き返しの夏”への道しるべになるに違いない。
取材・文●小室功(オフィスプリマベーラ)