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海外サッカー

ブラジル代表の“名勝負“5選――忘れがたき“黄金の中盤“や“ミネイロンの惨劇“。国民が「セレソン史上最強」と讃えるのは…

沢田啓明

2020.07.15

1982年のセレソンは「黄金の中盤」と称されたジーコ(右)らの他にも、FKのスペシャリストとして知られるジュニオール(左)といったタレントたちが揃っていた。(C)Getty Images

1982年のセレソンは「黄金の中盤」と称されたジーコ(右)らの他にも、FKのスペシャリストとして知られるジュニオール(左)といったタレントたちが揃っていた。(C)Getty Images

 ワールドカップ優勝5回を誇るサッカー王国は、その長い歴史の中で数々の「名勝負」を生み出してきた。もちろん、彼らが歩んできたのは、栄光の道ばかりではない。強烈な輝きを放った大会もあれば、国民が悲鳴を上げるような惨劇も経験した。では、そのなかから「5つ」をピックアップするとしたら、どの試合になるのか。南米サッカーに精通する識者に、とりわけ強烈なインパクトを残した5試合を選んでもらった。

    ◆    ◆    ◆

1950年7月16日 vsウルグアイ ●1-2
得点者/ブラジル=フリアッサ
    ウルグアイ=スキアフィーノ、ギッジャ

「マラカナンの悲劇」。2014年ワールドカップでドイツに大敗を喫するまで、ブラジルのフットボール史上最大の屈辱とされたのが、この試合だ。

 1938年大会で3位と躍進したブラジルは、第二次大戦後最初のワールドカップを誘致。世界最大のマラカナン・スタジアムを建設し、3か月に及ぶ長期合宿を張って初優勝を目指した。順調に勝ち進み、宿敵ウルグアイとの最終戦で引き分け以上なら優勝という有利な状況。スタンドは、20万人の大観衆で膨れ上がった。

 試合は後半開始直後に先制。ところが、ウルグアイの快速右ウイング、ギッジャを止められず、GKバルボーザの痛恨のミスもあってまさかの逆転負け。国中が悲嘆に暮れた。この敗戦があったからこそ、ブラジルは雪辱に燃えて強化に邁進し、今のようなフットボール王国を築いた、という見方もできる。
 
1958年6月29日 vsスウェーデン 〇5-2 
得点者/ブラジル=ババ②、ペレ②、ザガロ
    スウェーデン=リードホルム、シモンソン

 1950年ワールドカップの屈辱から8年後、セレソンは17歳の天才少年ペレ、脅威の右ウイング・ガリンシャらを擁する攻撃的なチームでワールドカップに臨んだ。

 大会序盤、ペレとガリンシャは控えだったが、グループステージ最後のソ連戦で揃って先発して大暴れ。ウェールズ、フランスを撃破し、地元スウェーデンとの決勝戦を迎える。大一番では試合開始早々に先制を許したが、ババらベテランが落ち着いてプレーし、ペレが見事な個人技で2得点を加えて快勝。悲願の初優勝を遂げた。

 試合後、少年ペレはチームメイトに肩車されて感極まり、号泣した。後に世界フットボール史上最高の選手となる男が、檜舞台で強烈な光を放った。
 

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