専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
海外サッカー

ジダンは名物オーナーの一言で、マラドーナは軍事政権の圧力で――。大物たちの「歴史を変えた移籍」が破談した理由

THE DIGEST編集部

2021.12.13

まだあどけなさも残るレバンドフスキ。レフ・ポズナン時代の彼は、多くのメガクラブが注目するようなタレントではなかった。(C)Getty Images

まだあどけなさも残るレバンドフスキ。レフ・ポズナン時代の彼は、多くのメガクラブが注目するようなタレントではなかった。(C)Getty Images

 クラブ上層部の判断によって破談したジダンの獲得。しかし、ブラックバーンには、天災によってやむを得ず契約に至れなかったケースも存在する。2010年の夏に行なわれたロベルト・レバンドフスキとの交渉だ。

 いまやサッカー界屈指の点取り屋となったレバンドフスキ。だが、当時はポーランドの古豪レフ・ポズナンにいる無名の若手に過ぎなかった。そのなかでブラックバーンを率いていたサム・アラダイス監督が秀でた得点能力に目をつけ、約800万ユーロという破格の値段でのクラブ間合意に至っていた。

 残すは、本人とのサインだけという状況までこぎつけていた。だが、ブラックバーンは、ここでまさかの事態に見舞われる。『talkSPORT』は、アラダイスのコメントを紹介している。
 
「私は、主任スカウトだったマーティン・グローバーとともにポーランドに飛び、ロベルトと契約をするだけだった。かなりの旅になるが、それでも彼には感銘を受けていたから契約をしたかったんだ。

 でも、フライトの日になってアイスランドから来た火山灰の影響で、飛行機がすべてキャンセルになったんだよ。しばらくその影響が続いて、ポーランドに行けずにいたら、彼はドルトムントに移籍していていたんだ」

 ドルトムントでユルゲン・クロップの薫陶を受け、ワールドクラスのタレントへと飛躍したレバンドフスキ。もしも、彼がブラックバーンに移籍していたらどんなキャリアを歩んでいたのか。興味深いエピソードである。
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号