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海外サッカー

ジダンは名物オーナーの一言で、マラドーナは軍事政権の圧力で――。大物たちの「歴史を変えた移籍」が破談した理由

THE DIGEST編集部

2021.12.13

ナポリで歴史を作ったマラドーナ。彼がそれよりも早く欧州へ渡っていたら……。(C)Alberto LINGRIA

ナポリで歴史を作ったマラドーナ。彼がそれよりも早く欧州へ渡っていたら……。(C)Alberto LINGRIA

 大物ストライカーという点では、あのディエゴ・マラドーナも欧州上陸を逃していた経験がある。それも政治的な圧力によって、だ。

「サッカー界の神」として多くのひとびとに愛された名手マラドーナ。この言わずと知れたクラックも、1978年にイングランドへの挑戦に迫っていた。同メディアによれば、シェフィールド・ユナイテッドが契約寸前にまで至っていたという。

 当時のシェフィールド・Uは、新たな助っ人補強を画策。ハリー・ハスラム監督とスポーツディレクターを務めていたジョン・ハッセルが、ブエノスアイレスへスカウトに行った際に、アレハンドロ・サベージャとペドロ・ヴェルデ(ともにアルゼンチン代表)と契約を締結していた。その旅で「魅了された」というのが、アルヘンティノスで研鑽を積んでいたマラドーナだったのだ。

 この時、アルヘンティスとわずか15万ポンドで合意に達したシェフィールド・U。だが、当時のアルゼンチンを支配していた軍事政権の介入によって交渉は決裂してまった。

 ティーンエージャーを巡る交渉について、『talkSPORT』は、こう描写している。
 

「前政権を強行的なクーデターで押し倒したアルゼンチンの悪名高い憲兵隊によってホテルの部屋を囲まれたハスラムたちは、『マラドーナの移籍はアルヘンティスへの支払いとは別に、15万ポンドを払った場合に限る』と交渉を持ち掛けられたのだ。

 軍事政権はマラドーナの国外移籍に前向きで、シェフィールド・ユナイテッド側も支払いに問題を示さなかった。しかし、後者は交渉に政治的な圧力がかかったことに不快感を示したため、獲得を見送った」

 この時、マラドーナが“サッカーの母国”へ渡っていたら、歴史は大きく変わっていたかもしれない。それを考えても、やはり事実は小説より奇なりと言えるのかもしれない。

構成●THE DIGEST編集部

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