そもそもスポーツと社会を分けて考える必要がどこまであるのだろうか。例えば、社会の中で何かのプロジェクトを行なううえで、チームとして成果を上げるために必要な能力というのは、結局のところサッカーと似ている。
「人生を右肩上がりにしていく、チャレンジをしていくって僕は思ってるんです」。そう語る羽生に、確信を抱かせたのは、やはり“恩師”の言葉だった。
「サッカー選手として引退した後に、『サッカー選手だった』ということを頼りに仕事をしていくことが怖かったんです。辞めた後に、『羽生直剛』っていう選手を誰も知らなくなって、『じゃあ、あなたは今何ができるんだ』っていうときに、『サッカーで培ったものを生かして、こういうことをやってるんだ』って胸を張って言える人間になりたいなって僕は思っています。
実は引退した後にオシムさんに会いに行ったんです。その時にオシムさんには、『なんで指導者をやらないんだ?』って言われたんですけど、ちょっと冗談っぽく、『オシムさんと同じ領域に入ってたら、あなたに勝てる気がしない。僕は負けず嫌いで、やるなら一番を目指したいけど、太刀打ちできないからやめます』って言ったんです。
オシムさんは、『お前らしく指導者やればいいじゃないか』って言ってくれたんですけど、その時に『僕、会社を作りたいんです』というのを伝えたんですね。そうしたらオシムさんは『そうか。じゃあ、もっと上をみろ、空は果てしない』って。僕に対して、そんな名言を送ってくれて。
サッカー選手を辞めた僕に、『もう終わった人間じゃん』っていう感覚じゃなくて、『お前は人生も最後までもちろんチャレンジしていけよ』みたいな感じを強く受けました。右肩上がりにチャレンジしていくことというのは、オシムさんのような強い志だったり、野心や向上心を持つことみたいなことが大事なんだなって僕は捉えてます」
チャレンジする気持ちを大事にし、自分を裏切らない。責任を他に探して、誰かのせいにして、自分と向き合えない人はサッカー選手になれないどころか、一般社会でも何も起こせない。
そのためには、勇敢にチャレンジした子どもがミスを犯しても、「これから、これから!」とどっしりと受け止め、「どうやったらミスをしなくなるだろう?」という取り組みを考えて、共にチャレンジしてくれる指導者がいなければならない。「サッカーも、人生も一緒なんだ」という思想を持った指導者が増えてきてほしい。羽生はそのためにトライしたい気持ちはあると話していた。
「人生、右肩上がりでチャレンジだ!」
子どもたちがそうした思いで取り組み続けられるための環境を作る。それこそが、僕たち大人に課された大事な役割だろう。
取材・文●中野吉之伴
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「人生を右肩上がりにしていく、チャレンジをしていくって僕は思ってるんです」。そう語る羽生に、確信を抱かせたのは、やはり“恩師”の言葉だった。
「サッカー選手として引退した後に、『サッカー選手だった』ということを頼りに仕事をしていくことが怖かったんです。辞めた後に、『羽生直剛』っていう選手を誰も知らなくなって、『じゃあ、あなたは今何ができるんだ』っていうときに、『サッカーで培ったものを生かして、こういうことをやってるんだ』って胸を張って言える人間になりたいなって僕は思っています。
実は引退した後にオシムさんに会いに行ったんです。その時にオシムさんには、『なんで指導者をやらないんだ?』って言われたんですけど、ちょっと冗談っぽく、『オシムさんと同じ領域に入ってたら、あなたに勝てる気がしない。僕は負けず嫌いで、やるなら一番を目指したいけど、太刀打ちできないからやめます』って言ったんです。
オシムさんは、『お前らしく指導者やればいいじゃないか』って言ってくれたんですけど、その時に『僕、会社を作りたいんです』というのを伝えたんですね。そうしたらオシムさんは『そうか。じゃあ、もっと上をみろ、空は果てしない』って。僕に対して、そんな名言を送ってくれて。
サッカー選手を辞めた僕に、『もう終わった人間じゃん』っていう感覚じゃなくて、『お前は人生も最後までもちろんチャレンジしていけよ』みたいな感じを強く受けました。右肩上がりにチャレンジしていくことというのは、オシムさんのような強い志だったり、野心や向上心を持つことみたいなことが大事なんだなって僕は捉えてます」
チャレンジする気持ちを大事にし、自分を裏切らない。責任を他に探して、誰かのせいにして、自分と向き合えない人はサッカー選手になれないどころか、一般社会でも何も起こせない。
そのためには、勇敢にチャレンジした子どもがミスを犯しても、「これから、これから!」とどっしりと受け止め、「どうやったらミスをしなくなるだろう?」という取り組みを考えて、共にチャレンジしてくれる指導者がいなければならない。「サッカーも、人生も一緒なんだ」という思想を持った指導者が増えてきてほしい。羽生はそのためにトライしたい気持ちはあると話していた。
「人生、右肩上がりでチャレンジだ!」
子どもたちがそうした思いで取り組み続けられるための環境を作る。それこそが、僕たち大人に課された大事な役割だろう。
取材・文●中野吉之伴
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