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海外サッカー

「EUROで優勝できなかったことが信じられない選手」を専門メディアが選定!まだ現役バリバリのエムバペが挙げられた理由とは!?

THE DIGEST編集部

2024.06.02

フィリップ・ラーム(ドイツ代表/準優勝)
バスティアン・シュバインシュタイガー(ドイツ代表/準優勝)
ヨハン・クライフ(オランダ代表/ベスト4)
ロベルト・バッジョ(イタリア代表/出場なし)
アルフレッド・ディ・ステファノ(スペイン代表/予選ラウンド1回戦)
エウゼビオ(ポルトガル代表/出場なし)
ミカエル・ラウドルップ(デンマーク代表/ベスト4)
ラウール(スペイン代表/ベスト8)
パオロ・マルディーニ(イタリア代表/準優勝)
パベル・ネドベド(チェコ代表/準優勝)
アンドレア・ピルロ(イタリア代表/準優勝)
デニス・ベルカンプ(オランダ代表/ベスト4)
 
 最初のドイツ人2選手は2014年ブラジルW杯優勝メンバーの主力として歴史に名を残すも、EUROでは2008年に最大のチャンスを迎えたが、前述のスペインに栄光を阻まれ、1974年西ドイツW杯で世界を驚かせたクライフは、2年後のEUROでも因縁の相手である西ドイツと決勝で相まみえるはずが、準決勝でチェコスロバキアに足元をすくわれた。

 イタリア・サッカー史に残る屈指のテクニシャンであるバッジョは、1988年11月のデビュー以降、EUROとは縁がなく、1992年は予選敗退、1996、2000年は招集されず。サッカー史上最も優れた選手とも評されるディ・ステファノは、アルゼンチン、コロンビアを経て、スペインでも代表選手として31試合に出場したが、EUROでのプレーは計3ゴールを挙げた第1回大会の予選ラウンド・1回戦のポーランド戦(4-2・3-0)のみ。2回戦の相手が当時の敵国だったソ連だったことで棄権となったためである。

 1966年イングランドW杯で得点王に輝いたエウゼビオもEURO本大会の舞台に上がることはできず、ポルトガルが初めて予選突破を果たしたのは1984年大会だった。ラウドルップはEURO1992当時、リカルド・メラー・ニールセン代表監督との確執で代表を離れており、弟ブライアンだけが栄光のメンバーの一員に。「ダニッシュ・ダイナマイト」が猛威を振るった初出場の1984年大会が最高成績となった。

 スペインの名手ラウールは2000年大会のベスト8止まり。2008年はルイス・アラゴネス監督の構想から外れ、歴史に名を残すチャンスを逸している。あと一歩のところまで迫りながら、ことごとく代表タイトルに手が届かなかったイタリアのレジェンド、マルディーニ。EUROでは2000年大会、決勝でフランス相手に終了間際までリードを保ったものの、土壇場での失点、そして延長戦での悪夢のゴールデンゴールで夢は潰えた。
 
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