「故郷への恩返しも含め、京都市のジュニア・アスリートのために何か還元したい。今は新型コロナウイルスのため多くのスポーツイベントも中止になっているけれど、再開された時には多くの少年・少女たちに『1位』を目指して欲しい」――。
加藤未唯が、地元の京都市に"111万1,111円"を寄付したのは、そのような想いからだったという。
「1という数字は、アルファベットの『I』にも見える。『アイ(=自分/愛)』があるということで良いですね」
5月7日に行なわれた受納式では、門川大作市長が感慨深げに謝意を述べた。
「私自身は、全国大会で優勝したのは全日本ジュニアくらいなので……1位は近いようで遠かった。だからこそなおのこと、ジュニアたちには1位を目指して欲しいなと思います」
それが、寄付金の数字に込めた加藤の願いだ。
「1位」と並んで加藤が想いを寄せるのは、生まれ育った京都という町だろう。
テニスを始めたのは、家から歩いて5分ほどの小学校に通っていた2年生の時。ボクシングをやっていた印象的な女性教師に、「テニスかスノーボードをやったらいいよ」と勧められ、すぐに始められるテニスを選んだ。
テニスに魅了されたのは、小学4年生から通い始めた"パブリックテニス宝ヶ池"時代。自宅から数キロのそのスクールでは、「普通を嫌い、いつも規格外のことをやろうとしていた」という個性派のコーチと出会い、背面ショットやドロップボレーを打ちながらボールと戯れるように技を磨いた。
加藤の武器である走力やスタミナの礎を築いたのも、小学生時代だろう。京都市では駅伝が盛んで、市内の小学校が派遣を争う「大文字駅伝」は冬の風物詩。その駅伝チームの練習に特例的に2年生時から参加し、大会では声援を浴びながら沿道を走ったことは、「個人戦しかしていなかった私にとって、大きな経験でした」と懐かしそうに振り返った。
そのような自身の体験もあり、スポーツに親しみ成長する上で10代が最も大切な時期だと知る彼女は、その世代の少年・少女たちに寄付金を使って欲しいと願う。
加藤未唯が、地元の京都市に"111万1,111円"を寄付したのは、そのような想いからだったという。
「1という数字は、アルファベットの『I』にも見える。『アイ(=自分/愛)』があるということで良いですね」
5月7日に行なわれた受納式では、門川大作市長が感慨深げに謝意を述べた。
「私自身は、全国大会で優勝したのは全日本ジュニアくらいなので……1位は近いようで遠かった。だからこそなおのこと、ジュニアたちには1位を目指して欲しいなと思います」
それが、寄付金の数字に込めた加藤の願いだ。
「1位」と並んで加藤が想いを寄せるのは、生まれ育った京都という町だろう。
テニスを始めたのは、家から歩いて5分ほどの小学校に通っていた2年生の時。ボクシングをやっていた印象的な女性教師に、「テニスかスノーボードをやったらいいよ」と勧められ、すぐに始められるテニスを選んだ。
テニスに魅了されたのは、小学4年生から通い始めた"パブリックテニス宝ヶ池"時代。自宅から数キロのそのスクールでは、「普通を嫌い、いつも規格外のことをやろうとしていた」という個性派のコーチと出会い、背面ショットやドロップボレーを打ちながらボールと戯れるように技を磨いた。
加藤の武器である走力やスタミナの礎を築いたのも、小学生時代だろう。京都市では駅伝が盛んで、市内の小学校が派遣を争う「大文字駅伝」は冬の風物詩。その駅伝チームの練習に特例的に2年生時から参加し、大会では声援を浴びながら沿道を走ったことは、「個人戦しかしていなかった私にとって、大きな経験でした」と懐かしそうに振り返った。
そのような自身の体験もあり、スポーツに親しみ成長する上で10代が最も大切な時期だと知る彼女は、その世代の少年・少女たちに寄付金を使って欲しいと願う。