海外テニス

「自分には才能があると信じていた」空爆が続く中でも夢を持ち続けたジョコビッチの強さとは?【海外テニス】

中山和義

2020.05.27

少年時代は爆撃の合間を縫ってテニスの練習をしたというジョコビッチは、いつしか「(空襲の)サイレンを気にしなくなった」と振り返る。(C)GettyImages

 テニス界で長きにわたりトップランキングを維持する一流選手たち。そんな彼らが発する言葉には、テニスの上達はもちろんだが、仕事やプライベートでも役立つヒントが数多く隠されている。

 今年の全豪オープンで連覇を達成し、4大大会の算優勝回数を17へ伸ばしたノバク・ジョコビッチ。近年はヒジや肩の故障で戦線離脱を余儀なくされるケースも少なくなかったが、それでも今は世界1位をキープしている。

 そんなジョコビッチの強さの理由を考える時に、まず頭に浮かぶのが強力なディフェンス力である。ストローク戦になると相手のスーパーショットを抜群の柔軟性で返球し、勝負どころでは絶対にミスをしない。この驚異的なディフェンス力を支えるのが、勝負に対する強いメンタルであり、彼のメンタルを考える時に忘れられないのが、少年の頃に体験した戦争だろう。

「セルビアで育った私のような少年がプロテニス選手になる? そんなことは、どんなに条件が揃っても考えにくかった。そして空から爆弾が降るようになると、プロになる可能性はさらに小さくなっていった――」
 
 1999年のコソボ紛争ではNATO軍が、ジョコビッチの暮らしていたベオグラードへの空爆を実施した。当時12歳だった彼は、シェルターでの生活を余儀なくされる。普通に考えれば、この状況でテニスどころではないが、彼は違った。爆撃された近くのテニスコートを探して練習に励んでいたのだ。なぜなら、NATO軍の爆撃機は、同じ場所を2度と攻撃しないと考えていたからだった。

「サイレンを気にしないことを学んだ。時間だけはたくさんあったから、その全てをテニスに充てられる幸せを感じるようにした。自分には才能があると信じていたから、集中さえできれば、世界一の選手になることも可能だと思っていた」

 ジョコビッチは戦時下での制約をマイナスに考えるのではなく、テニスにとってはプラスだと考えるようにした。そして自分と未来を信じて努力を続ける。

 14歳の時には、コーチがボールを前後左右に出して、選手がギブアップするまで揺さぶるドリルをしたが、ジョコビッチは100球以上やってもギブアップせず、最後はコーチの方がケガを心配したほどだった。彼のディフェンス力は、その頃から変わっていないと当時のコーチは回想している。
 
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どんな環境でも夢を持ち続けて前進した