海外テニス

「いつかツアーを支配したい」――5年前に抱いた夢が実現しつつあるズベレフ。才能が開花した理由に迫る【男子テニス】

内田暁

2020.06.10

まだあどけなさが残る2015年マイアミオープンでのズベレフ。すでにトップに立つ未来図を頭の中に描いていた。(C)Getty Images

「10代の選手が活躍しているのは、ツアーにとっても素晴らしいことだと思う。ノバク(ジョコビッチ)やアンディ(マリー)、ラファ(ナダル)たちも若い頃に台頭して、今もグランドスラムを支配している。僕らもノバクやアンディのように、いつかツアーを支配して一時代を築いていきたい」

 少年の面差しを残すあの時の18歳は、そう明言することに、何のためらいも覚えていないようだった。

 父親は、デビスカップやユニバーシアードなどで、当時のソビエト連邦を代表し戦ったテニスプレーヤー。その彼が人生の伴侶に選んだ女性もまた、プロとしてツアー転戦の実績を持つ同国のテニスプレーヤーだった。

 1991年、2人は情勢が不安定な母国を離れ、幼い長男を連れて東西統合間もないドイツへと移り住む。言葉も環境も不慣れな中でテニスを教えながら生計を立て、ようやく落ち着いた頃に2人目の子宝に恵まれた。家族の間で「サーシャ」のニックネームで呼ばれるこの次男坊こそが、最高ランキング3位、現在23歳のアレクサンダー・ズベレフである。
 
 ズベレフに10分ほどのインタビューをさせてもらったのは、2015年のマイアミ・マスターズが最初だった。その時に書いた記事内では、彼の体重は「86kg」と記されている。

 現在、ATPの公式データでのそれは90kg。5年間で4キロの増量だが、恐らくは15年当時の86という数字も、かなり下駄を履かせたものだったに違いない。なぜなら昨年1月、彼は名トレーナーのジェズ・グリーンと肉体改造に取り組み初めてから、「15kgも体重を増やした」と明かしていたからだ。

 彼がグリーンをチームに招いたのが、まさに2015年。がっしり体型の兄とは異なり細身の彼は、それをどこかでコンプレックスに感じていたのかもしれない。翌16年の全豪オープンでマリーに完敗を喫した時も、最も強く感じた彼我の戦力差が、フィジカルだったとこぼしていた。

 その弱点を補うべく、かつてマリーに鋼の肉体を授けたグリーンと共に肉体改造に取り組んだ彼は、17年以降、ATPマスターズ3大会を含む10のタイトルを獲得。うち5つがクレーでの戴冠である点にも、フィジカル面の成長が映し出される。