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海外テニス

バックの高いボールも平気で叩いたピアース。女子テニスの基本戦術を変えた天才プレーヤー【レジェンドFILE24】

スマッシュ編集部

2020.08.02

ピアースが得意とした両手バックでのハイボールの強打。ボールを厚く捉え、前に押す技術に長けていた。写真:スマッシュ写真部

ピアースが得意とした両手バックでのハイボールの強打。ボールを厚く捉え、前に押す技術に長けていた。写真:スマッシュ写真部

 1989年に14歳でプロデビューしたメアリー・ピアース。初めてグランドスラム大会の決勝に進んだのは、94年の全仏オープンだった。アランチャ・サンチェスに敗れたものの、10代での準優勝に母国フランスのテニスファンは熱狂した。そして翌95年には、20歳にして全豪のタイトルを手にする。

 ジェニファー・カプリアティと同様に天才少女と呼ばれたピアースは、デビュー当時から強打が光った選手だった。女子ツアーも90年代に入ると「つなぐテニス」ではなく「決めにいくテニス」の時代に突入。高い打点から叩く高速フラットを標準装備したピアースのテニスは、当時の再先端を行くものだった。

 特に長けていたのは、両手打ちバックで高いボールをねじ伏せる能力だ。それまで、バックのハイボールで積極的にエースを狙う選手はあまりいなかったが、ピアースは少しでも高ければすぐにエースを取りにいった。当時の女子テニスの基本戦術は「バックの高い打点で取らせる」というものだったが、それがピアース相手だと通用しなかったわけだ。
 
 連続写真を見ると、左ヒジの使い方が強打のポイントとして挙げられる。6~7コマ目で、左ヒジを少し上げ、ラケットを真後ろから押す形ができている。通常、左ヒジを使うと、面をかぶせるような打ち方になりやすいのだが、彼女はしっかり前に振り抜けているため、厚い当たりのフラットでボールを叩き込めたのだ。

 ただ、その強打の代償か、ピアースは00年に全仏を制した後は腰の故障に苦しめられ、成績は下降する。キャリア終盤に復活したが、それがなければもっとGSタイトルを取っていてもおかしくない選手だった。

【プロフィール】メアリー・ピアース/Mary Pierce(FRA)
1975年生まれ。WTAランキング最高位3位(95年1月)。グランドスラム通算2勝(AUS:95年、RG:2000年)。10歳でテニスを始め、わずか4年後にプロへ転向。20歳の若さで全豪を制覇し、00年には地元フランス人女子選手として33年ぶりとなる全仏制覇も成し遂げた。フランス代表として2度のフェドカップ制覇にも貢献。01年に故障によって一時低迷したものの、05年には全仏・全米で準優勝。現役時代からモデルの仕事をこなすなど、才色兼備の女子選手として高い人気を集めた。

編集協力●井山夏生 構成●スマッシュ編集部

【PHOTO随時更新】サンプラス、アガシ、ピアースら、レジェンドたちの希少な分解写真
 

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