国内テニス

うまくなるために連続写真と見比べてアガシをコピーしていた久松亮太【プロが憧れたプロ|第12回】

赤松恵珠子(スマッシュ編集部)

2020.11.26

久松さん(左下)がよく覚えているのは、94年の全米オープンのアガシだという。(C)Getty Images

 現在、プロとして活躍しているテニス選手も、現役を引退してコーチをしている人も、小さい頃には憧れのプロがいたはずだ。【プロが憧れたプロ】シリーズの第12回は、久松亮太さんに話を聞いた。

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「うまくなるためには、自分の特性に合った選手をコピーするのが一番早い」というのが持論の久松亮太さんは、元ナンバー1のテニス界のカリスマ、アンドレ・アガシをジュニア時代にコピーしていたと言う。

 ストロークの強打を武器にしていた久松さんにとって、「キャラクターの強さもありましたが、やっぱりストロークを学んでいく上で、僕らの世代では彼以上の選手はいませんでした」と言う。「一番目立つのはリターンだと思います。あと、ストロークをあれだけ早いタイミングで振り切れる選手は、たぶん他にはいませんでした」とアガシのプレースタイルを思い返す。

 コピーする方法は徹底していた。雑誌の連続写真を見ながら、鏡に自分の姿を映し、同じモーションの時に、自分との違いがどこにあるのかを見つけ出して、素振りを修正していたそうだ。寝る時も目を開ければ連続写真が見えるようにしておいて、ずっとアガシのフォームのイメージを頭に中に刷り込んでいった。
 
 アガシの試合のビデオは何度も見た。家族から、「他のテレビ番組を見せて」と言われるほど、テレビを独占して研究していた。

 最も印象に残っている試合は、1994年の全米オープン決勝戦。中学1年生の久松さんは、その試合を病室で見ている。事故に遭い、くも膜下出血で死にかけたところを、九死に一生を得た時だったのだ。そんな時でさえ、アガシ熱は消えることなく、決勝戦のアガシ対シュティッヒの試合は、マッチポイントのプレーや喜び方まで、今でも記憶している。

 アガシのプレーを徹底的にコピーした久松さんは、1999年に当時18歳以下の大会だったトヨタジュニアで優勝。ストロークの強打に磨きをかけて、"和製アガシ"と呼ばれるようにまでなっていた。

取材・文●赤松恵珠子(スマッシュ編集部)

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