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国内テニス

ベッカーを破った奇跡の裏には、もっと多くの奇跡の連続が!~石井弘樹【プロが憧れたプロ|第10回】

渡辺隆康(スマッシュ編集部)

2020.10.25

果敢なダイビングボレーでウインブルドンを制した17歳のベッカー。その必殺技に魅了され、習得した石井弘樹は、本人の前で披露することに! 写真:スマッシュ写真部

果敢なダイビングボレーでウインブルドンを制した17歳のベッカー。その必殺技に魅了され、習得した石井弘樹は、本人の前で披露することに! 写真:スマッシュ写真部

 現在、プロとして活躍している選手も、現役を引退してコーチをしている人も、小さい頃には憧れのプロがいたはずだ。【プロが憧れたプロ】シリーズの第10回は、かつて有明コロシアムで「奇跡」を起こした石井弘樹氏に話を聞いた。

   ◆   ◆   ◆

 現在40代ぐらいの元プロの中には、少年時代にボリス・ベッカーに憧れたという人は多いことだろう。石井弘樹もその1人だ。しかし、長じてからそのベッカーと対戦し、勝利した日本人となるとそうはいまい。石井は小野田倫久とのペアで、ベッカーを破るという快挙を演じた選手なのである。

 ベッカーが17歳でウインブルドンに優勝した時、4歳下の石井はテレビでその雄姿を見て、釘付けになった。以来「サーブのフォームをマネし、パフォーマンスをマネし、憧れ続けた」と目を輝かせる。

 やがて石井も21歳でプロになるが、世界の舞台にはなかなか手が届かない。ベッカーと戦ったのは1997年のジャパンオープンだが、それは奇跡的に実現した舞台だった。その2年ほど前からヘルニアで戦列を離れていた石井は、97年初めからプレーを再開したものの、ATPポイントをほとんど失い、ダブルス954位というランキング。当然、ジャパンオープンに出られるわけもない。
 
 しかし超ポジティブ思考の彼は、「練習相手に困っているプロもいるかもしれない」と有明まで足を運び、サインをして待った。そして会場が閉まる数分前、小野田が翌朝の練習相手を探しているという連絡が人づてに入る。当時19歳の小野田は、日本テニス界期待の若手と目され、シングルス予選に出場していた。石井はこのオファーに飛びつき、滑り込みで練習パートナーになれたのである。

 石井のポジティブ思考はこれで終わらない。小野田とは初対面で、話したこともなかったが、練習後に「良かったらダブルス組まない? って誘ってみたら、いいですよって」。もちろん試合に出られる保証はなかったが、小野田のネームバリューによってワイルドカード(WC)をもらえるのではないか、という計算があっての誘いだった。

 石井の読みは当たった。2人はまず予選のWCをもらい、本戦繰り上がりのペアが出た関係で、結局本戦WCを手にするという、わらしべ長者のような展開に。こうして晴れてベッカー/クーネン(ダブルス最高位28位)との対戦が実現したのである。
 

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